アレフ教学システム 問題D
第9章 9話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 最終的にわたしが考えている部分は、君たちの(1)を一つずつ取り払い、そして一カ月、二カ月と平然と断水・(2)、あるいは(2)を二カ月、三カ月と行なったとしても、平然と耐えられると。耐えられるというよりも、そういうものでは生きていかない、つまり(3)によって生きていく生命体へとつくり変えたいと考えているからである。
 もちろんそのとき、君たちは(4)天界の住人になっていることは間違いない。それをこの地上に達成すること、これが狙いなのである。


 では、次にである。この段階で水中サマディが成功するということは、何を意味しているのかと。これは(5)を意味していると。つまり、入出息が完全に静止した状態を意味していると。
 そして、この入出息が完全に静止した状態のとき、わたしたちは(6)をつくり出し、その(6)によって(7)な身体をつくり出すことができる。その(6)が(7)な身体を形成するその身体というのは、まさに自在な身体、テレポーテーション、浮揚、その他が自在な身体ということになるのである。


 今生は、わたしにとってまだまだ中間の生である。わたしの本質は、ミトラとも、あるいはミスラとも、(8)とも呼ばれる本性である。
 そして、このミスラ、ミトラ、(8)というのはすべて同じ意味を表わしているわけだが、仏教では、今生のこの(9)の最終に登場する救済者として、他の宗教では光の神として、あるいは盟約の神として示されている。
 そして、この神々の救済が(10)するか否かは、つまり、選ばれた、そして神に至るための道を歩いている君たちが、どの程度本気で全力で救済を意識し、自己の(11)に没頭するかである。


 まず、はっきりと言っておかなきゃならないことがある。それは、(12)に左右されるような魂は、当然サマディに入れないということである。
 よく、師の話の中で、「これこれの問題があるからこうなんです」、「これこれの苦しみがあるからこうなんです」というバカなことを言う師がいる。
 しかし、よく考えてごらん。それは外側の(13)である。外側の(13)を止滅し、それを(14)によってしっかりと防備し、次に、内側に浮いてくるいろいろな雑念を(15)によって止め、そして完全に心の空っぽな状態をつくり出し、(16)を捨て、不苦不(16)の状態になり、完全に煩悩を滅尽し、(17)の静止した状態、これが第四静慮であるはずである。
 だとするならば、その第四静慮へ至ることのできる魂は、当然この現世においても堂々と偉大なる(18)を出したとしても、それは当然である。どうだ、それは。


 ところが(19)は、この現実の世界、生活の中に身を置き、そこでいろんな外的(20)と対決し、そして内側に浮いてくる(20)と対決し、そして自分自身を完全に(21)に置きながら止めてしまうという――つまり、これこそまさに(21)涅槃、(21)煩悩破壊なのである――そこに到達することを目標としている。
 当然、恵まれた環境で(22)に入り、そして(20)を捨断する。これはこれで素晴らしい修行である。しかし、もし(21)にいながら、きちんと記憶修習を続けることにより、必要なときは(20)を止め、そして必要でないときはしっかりと救済活動を意識し、自分自身の心、(23)、これを多くの魂に(24)することができるならば、それはより偉大な修行者ということになる。
 そしてもちろん、修行者としての落ちこぼれは(22)に入らなければならない。これは、(22)に入るということは、もともと落ちこぼれなのであると。なぜならば、(21)から遮断されなければ解脱しないわけだからである。
 もちろん、(21)にいて(25)することは難しい。(21)にいて滅尽することは難しい。しかし、それをなすことができるならば、それは王者の修行者、真の修行者、前生から類い稀な徳を持ち合わせた修行者ということになる。