アレフ教学システム 問題D
第9章 7話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 まず、究竟の瞑想というのは、君たちも知っているとおり、自分の(1)に何が根付いてるかを見るための瞑想だよね。(2)の瞑想というのは、自分たちの(1)に根付かせるための瞑想だよね。
 例を挙げるならば、どういうことかというと、(3)する瞑想イコール究竟の瞑想と。そしてあの、(4)の入れ替えの瞑想イコール(2)の瞑想というふうに分類することができる。ここまでいいかな、まず。


 まず、(5)のバルドというものはどういうバルドかというと、これは経典では煙色というふうに表現されているが、明らかにこれは(6)である。そして、その(6)の思念の集積、これが(5)の世界へといざなう結果となる。
 では、その(6)の思念とは何かと。それは一言で言うならば、(7)であると。
 では、なぜ(7)が(6)なのかと。これは、(7)によって自己を防御すると。(7)によって自分自身の世界を狭めていくという結果、結局、(5)イコール(6)ということになる。
 つまり、要するに(8)をつくるわけだね。つまり、思念の力によって(8)をつくり、その思念の(8)によって、自分自身の自制力を失った状態、あるいは自分自身の行動の範囲を完全に制限されてしまった状態、これが(5)であると。


 (9)させることの得意な人、あるいは意識のはっきりしている人は、生起の瞑想が得意と言える。次は、そうだね、意識の(10)、つまり心の(10)の大きい人は、究竟が得意と言えると思います。
 それはどういうことかというと、スペシャリストタイプは、生起の瞑想が得意であると。それから、(11)タイプは、究竟の瞑想が得意であると。


 で、この三つの管の意味合いというのは、左の気道は完全に無智、無明、(12)を崩壊させます。これによって、叡智が生じます。で、中央管の完全なる崩壊によって、愛著が完全に止滅します。よって、(13)がそこで完全に生じます。それから、右の気道の、完全なる崩壊によって、(14)が止滅します。(14)が止滅することによって、完全なる至福が得られます。…(中略)…
 よって、君たちは行というものを大切に考えてるかもしれないけど、(15)のプロセスが大切になってくるんだね。
 例えば、先程言ったとおり、もし完全に愛著を止滅するならば、その気道というものは、完全に(16)されます。もし完全に(12)を止滅するならば、(12)の気道は(16)されます。もし完全に邪悪な(15)を止滅するならば、邪悪の気道は完全に(16)されます。


 じゃあ次は、左の気道のムーラダーラは何かな。迷妄なるがゆえに、本来敵でないものを敵と考え、(17)でないものを(17)と考える心。でしょ。
 じゃあ次は、スヴァディスターナはどうかな。本来自己に(18)を与えないものに対して、ね、それを与えるものと考え、(18)を与えるものに対して与えないものと考える、ね。
 マニプーラはどうかな。本来、自己の(18)にならない(19)に対して、それを(18)になると考え、あるいは、本来自己の体を害する食べ物に対して、それを害さないと考える、ね。
 じゃあ、四番目のアナハタはどうかな。自分自身をどんどんどんどん迷妄の深みに入れていくものに対して愛著し、自分自身を、ね、迷妄から解放するものに対して愛著しないと。
 喉はどうかな。これは、嘘だよね。あと(20)だよね。
 じゃあ、アージュニァー・チァクラはどうかな。漠然と、(21)によって願望を成就したいと考える心の働き、これは迷妄だよね。


(尊師)それは、例えば(22)というのはね、自分がこう思いたいという方向があるんだよ。で、そのこう思いたいという方向があるから、(23)してない要素に対して丸を付けていくわけだ。つまり完全に(23)されてたら、こう思いたくとも思えないよね。…(中略)…
(質問者L)はい。最初の質問と部分的に重なるかもしれないですが、自分が求めていた条件を満たした場合、それ以外の部分に関しては、肯定的に見ようとする心の働きが(22)だと言われましたけど、それ以外の部分を肯定的に見ようとする心の働きの原因は何なんでしょう。
(尊師)それは、(24)になりたいと考えているからだよ。で、しかもその(24)、自分の(25)に(24)があるんだと錯覚を起こしているから、そのように見ようとするんです。