アレフ教学システム 問題D
第8章 5話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 例えば、わたしが「忍辱精進の修行を三十日間実践しなさいよ」と、あるいは「六十日間実践しなさいよ」と、あるいは「あなたは独房に入りなさいよ」と言ってる人がいる。これは、例えば、六十日のプログラムを十日やったからといって、(1)の出るものでもなければ、あるいは、六十日のプログラムを五十日間やったからといって(1)の出るものでもない。
 わたしが、例えば独房九十日、あるいは忍辱精進三十日、六十日と言うのは、(2)の数字なんだね。で、それを(3)でやれば必ず(1)の出るという数字だ。これを三分の一で挫折したり、あるいは二分の一で挫折したりすることは、その人にとって決してプラスではない。…(中略)…
 スタッフはもちろんのこと、ね、信徒の方も、もし、ね、わたしが「三十日(3)でやんなさいよ」と言って、三十日(3)でやったならば、必ずいろんな形の(1)が出てくるだろう。あるいは、「六十日(3)でやんなさいよ」と言って、六十日(3)でやったならば、必ずいろんな形の(1)が出てくるだろう。
 現にスタッフだけではなくて、信徒からも成就者が出たわけだからね。あとは信を持って、(4)を持ってなすかなさないかだ。


 そして、わたしが「忍辱精進の修行をやりなさい」と言った人の、ね、ほとんどが、アストラル、あるいはコーザルに(5)のけがれがあって、その(5)のけがれによって今苦しんでいる。
 だから、清らかなヴァイブレーションの言葉を発することによって、それは(6)だね、「オーム、グルとシヴァ神に帰依致します」という(6)だ。「わたし何々を速やかに(7)へとお導きください」という(6)だね。
 それを(6)を唱えることによって、あるいは(8)の修行をすることによって、強い意志を培うことによって、あるいは(9)を払うことによって、あるいは(8)の投地を行なうことによって、(10)をきちんと伸ばすことによって、ね、カルマというものは消滅していく。


 ここに、どんなに素晴らしい薬があったとしても、その薬を飲まなければ(11)が癒えるはずがない。その(11)を癒せるか癒せないかは、あなた方の頑張り一つだ、ね。
 そして、(12)の浄化というものは、例えば今日やったからといって今日の部分が消えるとか、あしたやったからといってあしたの部分が消えるというわけではない。それは、ちょうど(13)みたいなものなんだね。クラウドみたいなもんなんだよ。
 で、これは、この(13)が完全に取り払われない限り、その幻影である肉体の苦痛は残る。
 そこを理解しない凡夫は、「ああ、わたしは十日やって全然(14)がないんですよ」と、「二十日やって(14)がないんですよ」と、ね、(15)的になる。
 そして、この(15)的になるということは、その本人の苦しめている(16)を消滅させる方向と(17)の方向に向かう、ね。
 そして、もしあなた方が、今あなた方の(11)を取り払うことができなければ、今あなた方があなた方を超えることができなければ、あなた方はあなた方の(16)によって、今生だけではなく来世も苦しむことになるだろう。あるいは、(18)状態も苦しむことになるだろう。それを認識しなければならない。


 すべてはあなた方のなした、ね、行為、あるいは(19)、あるいは(20)の働き、イメージ、意志といったものの結果しかあなた方には返ってこない、ね。
 ここで、もう一度大乗の発願の詞章の頭の部分を考えてみよう。
「ホー、湖面に映る(21)のような
 さまざまな(22)に引きずられ
 (23)の大海を浮沈する生き物たち」と。
 「湖面に映る(21)のような」と――この湖面に何が映ってるんだと。ね、(21)が映っているんだと、ね。このさまざまな(22)というのは、アストラルの(22)であると。あるいは現象界、(24)の(22)であると。
 いや、あなた方はこう言うかもしれないよ。「わたしのこの生きてる世界は(25)だ」と。そして、「この生きてる世界以外の(25)はない」と。じゃあ、あといつまでこの(25)が続くんだと。「八十年も続くじゃないか」と。「百年も続くじゃないか」と。
 じゃあ、あなた方に問おう。今まであなた方が生きてきた二十年、三十年、四十年という人生の長さはどうだと。あるいは五十年という人生の長さはどうだと。
 瞬間ではないかと。ここから、ね、仏陀釈迦牟尼をはじめとする聖者は、「(24)は幻である」と、ね。