アレフ教学システム 問題D
第8章 1・2話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 煩悩の滅尽を目的とする、多くの学問を学んだ出家修行者が、瞑想修行に入るとき、まず考えさせられる第一の(1)のポイントがあります。
 これは、“(2)”についてです。
 つまり、「わたしは人間として生まれた。そして、瞑想修行のできる有意義な(2)を有している。この瞑想修行によって来世が約束され、修行の激しさによっては(3)を得ることができる」。
 この考え方は、何よりもわたしたちにとって大切なのは“時”である、そしてその“時”を大切に生かせる魂、これこそが(4)の持ち主であることを表わしているのです。
 皆さんも、瞬間瞬間を怠惰に生きることなく、(5)で生きてください。しっかり頑張りましょう。


 一つの魂が(6)者としてね、生まれ変わる確率を仏典ではこういっているね。
 ここに(7)の大海があると。この(7)の大海というものは、まあ宇宙だと考えましょう、ね。そして、そこにいろんな生き物がいて、もがき苦しんでいると。その海を想定しますよ、ね。
 そしてある一つの魂がだよ、この世は苦しいから(6)でもしてみようかと、ひとつ心を(8)してみたいと、ね、考える確率は、確率じゃないな、考える時期というものは、大体三百年から五百年に一回だそうだ。
 そして、その三百年から五百年に一回頭をもたげたときにね、そこに(9)があるかどうかっていうのは、ちょうど地球全体の砂の中からだよ、一粒の(9)という砂を得るに等しいと。


 餓鬼の世界というものは貪っても貪っても、ね、満足できない世界だ。当然心はその飢えや渇き、あるいは一切の(10)というものに心が縛られている。真理があったとしても、それに目を向けることはしないだろう。
 だから、わたしたちは、次に餓鬼に生まれなかったことを(11)としなければならない。


 次に、阿修羅はどうだと。
 阿修羅の世界は、絶えず(12)本能から来る努力というものに追い回されている、ね。(13)を追い越すために、天界の住人を追い越すために、ただひたすら働いている。
 よって、心は解放されるどころか、真理に向かうどころか、(12)だけに集中しているわけだ。当然阿修羅の世界に生まれた者もね、心の解放を得るチャンスというものはなかなかない。


 しかしだよ、人間界に生まれたとしても、まず条件としてだ、真理の法というものに巡り合える確率は非常に(14)ことになる。
 例えば、日本においては神道があるね。あるいはアメリカ、ヨーロッパにおいてはキリスト教がある、ね。こういう供犠を中心にした、しかも単なるお祈りだけの(15)しかないね、国に生まれたとしたならばだ、わたしたちは本当の意味で心を解放することはできない、ね。
 だからまず、(16)国に生まれたことを、真理の法の国に生まれたことを感謝しなければならない。


 今日のこの話を聴いている人の中で、ピンと来ない人もいるかもしれない。それはこう考えなさい。
 わたしたちは猛毒に侵された(17)であると。なぜ猛毒に侵された(17)と言い切れるんだ。
 それは、この粗雑次元の人間の世界の中で、わたしたちは喜びと(18)を味わっている。その喜びの本質というものが(19)ということに気付かず、わたしたちはその喜びにうつつを抜かしているわけだ。
 じゃあなぜ、それは(19)なんだと。それは前提条件に(20)というものがあるからだ。(20)というのは、情けがないという意味じゃないね。常ではないということだ。必ず変化するということだ。


 じゃあ、真理の(21)というのは一体何だと。真理の(21)というものは何だと。これは、妙薬だ、秘薬だ、最高の薬だ。そして(22)はね、最高の名医ということになる。…(中略)…
 ここで大切になってくることは、その名医に対する(23)だ。だから修行の根本は、(23)であるといっているわけだね。
 例えば、真理に対する(23)、(22)に対する(23)、ね、そして(22)のお手伝いをしている人たちに対する(23)だね。
 これを言い換えると、仏陀とそれから(24)とね、それから(21)、ダルマね、真理に対する(25)、(23)、これを最も大切な要因としている理由がここにあるわけだ。