アレフ教学システム 問題D
第7章 15話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 で、何を言いたいのかというと、このレベルになると、あなた方はあまり努力しなくても(1)はどんどん上がっていきます。もちろん、(1)はどんどん上がると同時にどんどん下がると。つまり、(2)を昇華する方向に行けば上がるだろうし、あるいは(2)次元の低いところに行けば、どんどん(3)が入れ替わって下がっていくという現象が起きます。
 しかし、その段階に到達するまでは、今あなた方が得ているもの、それは久遠の宝であり、そして神の宝なんだから、そこをもっと理解しなければいけない。
 自分自身が人間として生まれ、そして(4)のできるというそのような素晴らしい環境に生まれ、(4)できる時間を持っていると。これらの三つの条件をそろえてる魂、これは崇高な魂であると言えます。しかし、その「崇高な魂である」と最後に言えるかどうかは、それを(5)に結び付けることができるかどうかです。


 それは頓着しない修行、そして、今あなたのそばにいる人、例えば妻、あるいは子供、あるいは夫、あるいは父母に対して徹底的に(6)なさいと。つまりそれはあなた方の(7)の一種なんだよって、ね。それで、その延長上に(8)があるんだと。
 つまり、(8)に対する徹底的な布施・持戒・忍辱・精進、そしてサマディ・智慧という六つの実践と同時に、あなた方の周りの人に対しては、(9)することなくひたすら(6)なさいと。――これをまず(10)の原則の第一となさったわけだ。


 この場合、二つのパターンによって(11)が切れるはずであると。つまり条件が止滅するはずであると。
 第一のパターンは何かと。これは自分自身の持っている(12)、つまりいじめられるという(12)が切れ、そして父母が優しくしてくれるパターンと。第二のパターンは、自分自身の(12)は切れるんだけど、相手の(13)が強い場合と。この場合はその父母から(14)ことになります。このどちらかのパターンで、必ず(12)の終焉が来ます。
 従って、その状態に至るまでひたすら(15)をし続ける、ひたすら耐え続ける必要がある。それは一年だろうと五年だろうと十年だろうと、あるいは一生涯かかって落とすことができないとしても、それに対しては平然と耐えなければならない。なぜならば、その(16)は、未来において必ず受けなければならない(16)だからであると。


 そしてこの法眼、この法眼からいくと、必ず(17)の修行を行なっている者、カルマを落とされてる者の(18)は、少しずつ少しずつその悪い要素、蓄積の要素が薄くなり、小さくなっていきます。これはカルマが落ちていってる証拠です。
 しかしだよ、人間界に生まれたとしても、オウム真理教の信徒であったとしても、その例えば要素の八十パーセントが地獄の(18)で、たったの一パーセントに光り輝く部分があるという人もいるんだ。その場合、その人の人生の八十パーセントは苦しみであるということができます。それをもし認識し、その苦しみを前もって経験しながらそれを(19)とし、そしてしっかりと耐え、そして布施・奉仕・持戒等の基本的修行を行ない続けるならば、必ず(18)は変化すると。


 まず、修行者の第一歩は(20)、正しく学ぶことであると。そして、慚愧の念を持つことであると。(21)を持つことであると。そして不放逸、つまり(22)し続けることであると。
 これらの土台のもと、まず正しい(23)を身に付けると。この正しい(23)とは、正しい教え、真理勝者の教え、世尊の教えを根本とするということだね。
 そして第二番目に、それについて、のっとって考えると、ね。そしてまず、わたしたちが一番にできる(24)からの訓練に入っていこうじゃないかと。(24)ができたら、瞬間瞬間の行為について、次はわたしたちは正しく行なおうじゃないかと、ね。
 ほらほら、その次だよ、この(24)と行為がある程度できた段階で、一日中(25)の実践のできる状態、これをつくろうじゃないかと、ね。