アレフ教学システム 問題D
第7章 9話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
君たちは、この日本に生まれ、そしていろいろな(1)によって、自己というものを形成しているというふうに考えているんではないだろうか。
しかし、実際すべての(1)は、わたしたちの(2)とともに消え去ってしまう。なぜ、「消え去ってしまう」と言えるかと。それは、前の生を覚えている人がいないということで、その証明ができるんではないかと。
「いや、もともと前生というものも、あるいは未来生というものも存在しないんじゃないか」と。「もしそうだとするならば、生まれた時、前生の(3)がなくても当たり前ではないか」と、そのように考えるかもしれない。
しかし、もしそうだとすると、(4)が存在するということは大変な矛盾である。
そして、このすべての現象を(5)だと考えて修行がスタートする。そして、それについて一つ一つ考えると。「何ゆえにわたしはこの世に生まれてきたのだろうか、どのようなカルマによってわたしはこの世に存在するのだろうか」と。
そして、この修行に入っていく者、これを“(6)”と呼んでいる。
もう一方の人間がいる。それは、昨日聞いたことを自分のことのように思い、あるいは、今読んだ本の内容を自分のことのように思う。すべてその人を形成しているものは、(7)という最も不安定な要素によって自己を形成している。
そこで出てくることは、これがよく釈迦牟尼が説いた、まず初めに出てくる「(8)を根本としなさい」と、「(8)を(9)処としなさい」と――(9)処というのは(9)のよりどころ――そして、「(8)を島としなさい」と――これも、海の中にただ一つ漂う島、そこでしか生活できないんだよと――「島としなさい」と。この本当の意味は何であろうかと。
また釈迦牟尼は、「(10)を根本としなさい、(10)を(9)処としなさい、(10)を島としなさい」とも言っていらっしゃる。この本当の意味は何であろうかと。
この本当の意味とは、本来は「(8)を根本としなさい」の前に、「(10)を根本としなさい」という言葉が来なければいけない。それはなぜであろうかと。
ここでいう(10)、ダンマ、ダルマというものは(11)のことである。そして、例えばこれは経典を表わしているといっても間違いではない。
ここに経典があると。ここに教えがあると。果たしてこの教えによって、この教えのとおりに実践したら、自分はそのとおりの(12)というものをするのだろうかと。もし、その(12)をするならば、それは他人が何と言おうともその(12)は(13)的なものである。
もし、自分自身を最も信頼しているならば、そこで(12)したこと、例えば神秘体験にしろ、例えば神通力にしろ、例えば超能力にしろ、例えば心の安らぎにしろ、それは(13)的なものとなる。
しかし、もし自己を根本とせず、周りの言葉あるいは情報を根本とするならば、そこで当然揺らぎが生じる。心の動揺は(14)の因を招く。そして、また(14)が次の(14)を生み出す。
でも、ここでよく考えなければならないことが一つある。それは、(15)すら(16)られない人間、(15)の本質すら(16)られない人間が、他人の言っていることを(16)ることができるだろうか。(15)の本質からデータそのものによって(17)を得ることのできない者が、他人の情報、他人のデータによって、(17)を得ることができるだろうか。
そう考えると、次のことに気付くであろう。最も大切なもの、それは(15)自身を(16)ることである、(15)自身の体験を(16)ることである、(15)自身の心を(16)ることであると。
そして、それを(16)る者は、確実に自己の道、自己をより磨く道に邁進することになるだろう。
わたしたちに最も大切なもの、それは(18)を磨き上げることである。それは、(18)を(19)させることである。
そして、「磨き上げる」「(19)させる」という言葉、これは同義語である。そして、それは「船頭の操縦の技術を磨き上げる」、これと同義語である。そして、その言葉を“(20)”という言葉を使っているわけだね。
わたしたちがすべての苦悩から解放されるために、四つの瞑想のプロセスがある。それはまず、「徹底的に修行しますよ」と、そういう(21)を持つことであると。そして、(22)することであると、二番目には。三番目には、心を(23)する訓練をすることであると。そして最後に、純粋な真理を背景とした理論によってすべての現象に対して観察をする、(24)をすることであると。
そしてこの四つのみが、わたしたちを(25)に到達させる操縦の技術であると。