アレフ教学システム 問題D
第7章 6話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
(1)とは一体何だろうかと。これは、一つの(2)であると。
では、(2)であるとは何かと。例えばクンダリニー・ヨーガの場合、(3)へ意識を移し変え、自由に入り、また現象界へ戻ってくると。そして、(4)へ没入する、あるいは、(4)の中に、ね、安住する。この(2)をなしたとき、クンダリニー・ヨーガの(1)と言うことができると。そして、そのときに、おのずと(5)の基礎、これが付いてると言えようと、ね。
そして、この(6)がきちんと守れている人は、今年中に成就すると言えようと。徳があり、今年中にきちんと(6)の守れてる人は、今年中に成就すると言えようと。しかし、もし、それが守れなければ、今年中の成就はあり得ないと言えようと。
では、それは一体なぜだと。N、なぜ成就できないと言えると思うか。例えば、エネルギーが強ければ、クンダリニー・ヨーガの成就はできそうだな。なぜできない?
――最後は、成就の(7)っていうのは、(8)の強さだからだ。だからもし、例えばP大師が(8)が強ければ、もう成就している。経験はあと一つで済むわけだから。
君たちの(9)というのは、一文の価値もない。どころか、マイナスだ、ね。
なぜ、そうなんだと言えるかというと、わたしたちが(10)の大海を渡るとき、わたしたちは、ね、まあ正確な言い方をすれば、潜在意識の大海と言うこともできるけども、ここに(11)意識のわたしたちがいて、これを自分だと思っている。
その奥に潜在意識の大海がある、ね。この潜在意識によって、六道を(10)してるわけだ。この潜在意識は、アストラル世界とつながってるね。
そして、その奥に、もう一つコーザルの状態があると、(12)意識があると。もし、わたしたちが、この(12)意識に到達したならば、それは(13)に到達したと言えよう、ね。そして、その(12)意識をコントロールできるならば、わたしたちは最後の(14)をしたと言えよう、ね。
わたしが、今何を言いたいか、ね。修行上の経験と、この(15)の経験と、どちらが価値があるかというと、(15)の経験の方が価値があると言える。なぜならば、それは、この(15)ほど、わたしたちを障礙するものが多い空間はないからだ。
そしてこの(15)で負けて修行に入ったとしたならば、その何倍の時間をかけて心を浄化し、(16)し、そして乗り越えることになろう。N、わかるか。だから、たかだか、例えば性欲の戒、あるいは食欲の戒、あるいは他の戒で揺れてるようでは、なかなか修行に入っても成就しないと言える。
もちろん、前生の、ね、経験、あるいは前生のステージというものが、大きな影響を君たちに与えていることは否めない。よって、前生で(17)の修行、ね、をやっていた人たちは、当然(16)したいと考えるだろう。
しかし、この生きてること、この(15)で(18)すること、あるいは、この(15)で、ね、一生懸命奉仕をすること、これも(16)であるということ、これにもし気付いたならば、より早く成就というものが待っているだろう。
じゃあ、わたしは今あきらめろと言ってるのかといったら、そうではない。今からでも遅くはない。自分の心に絶えず問いかけろ。今、苦悩している者は、だれの(19)によって苦悩してるんだと。これは、(20)の(19)によって苦悩してる。
なぜならば、同じワークをやって、Aという者は苦しまない。Bという者は苦しむ。なぜだ。それは(20)に、Aという者は(19)がないからだと、苦しむね。Bという者には(19)があるからだと言うことができる。
よって、(20)に(21)、(21)、(21)、ね、トライしろ。自分に(21)、(21)、(21)、ね、自分をチェックしろ。そうすることによって、君たちは成就することができる。
(22)とは何かと。耐え忍ぶことであると。これは布施、持戒の上に成り立っていると、ね。持戒を(23)まで守ると、苦しいと。ワークを(23)まですると、苦しいと。
しかし、その苦しみの(24)を、もし君たちが瞑想に入る前に破っていたら、君たちの成就というものは、ね、一カ月、あるいは二十日、ね、短い期間に、それを達成することができるだろう。
そして、(25)だ。人よりも一分、一秒、ね、長くワークをする。一分、一秒、多く修行をする、ね。こういう気持ちを持って、君たちが日々努力をしていたならば、君たちは必ず、ね、他の人より早く成就することができるだろう。