アレフ教学システム 問題D
第7章 5話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 では一体、ものを考えたくない状態とは何だろうかと。ものを考えないということは、コーザルに(1)を入れない、あるいはコーザルの(1)を(2)する、ということは何が起きるか、m。コーザルから隔絶された状態、何が起きるか。
 ――ではない。(3)が起きる。なぜ(3)が起きると言えるんだと。


 ただ問題は、(4)しているときその状態に至ると。そうではなくて、(4)していないときもその状態に至った人こそ、(5)の解脱者だといえよう。
 そしてもっと進んで言うならば、(6)と接しているときもその無(7)の状態が訪れていると。しかも(8)に没入してる状態、この人を如来だという。
 (9)の生起の全くない状態、これが(10)だ。そして(6)と接していて、行、イメージ、あるいは(7)というものが働いているように見えて、ね、しかし実際は全く働いていない状態、これが仏陀の状態だ。この二つは違う。
 前者は個人における、ね、(9)からの(11)だ。後者は個人だけではなく、(12)的なものからの(9)からの(11)だ。


 あなた方の修行のやり方を見て、わたしはよくこう考える。(13)と。あなた方は、あなた方のやりたいだけの修行しかしていない。
 しかし、あなた方のやりたいだけの修行ということは、言い方を換えれば、カルマの(14)を受けてる修行ということになる。カルマの制約を受けてる修行ということは、カルマを(15)するためには、ね、勢いが弱い。だから(16)がかかる。
 まず、(17)になることが大切である。(17)になるとは何だと。
 自己は(18)というものに全く目覚めていないと。自己は(19)の中に存在していると。そしてどのように歩いたら、本当の意味で幸福になるか、あるいは自由になるかわからないと。
 それを知っているのは(20)だけであると。だから(20)に聞こうと。そして聞いたならば、それを徹底的に(21)しようと。


 そしてこの世の(22)というものは、わたしたちの生きている間は(23)する。しかし、(24)の世界は全く(23)しない、そのものの考え方というものはね。
 例えば虫がいる。虫を殺す。これは現代生活においては罪にならないことだ。
 しかし、あなた方が死んで(25)状態に入ったとき、その罪状というものは、ね、夜摩天によって読み上げられ、裁かれることになるだろう。従って、今あなた方が考えていること、これは修行において(23)しないことが多い。そう考えた方がよろしい。