アレフ教学システム 問題D
第6章 21話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 在家修行の場合、特にこの仏舎利というものは、大きな力を発揮します。これは『大完全煩悩破壊経』にも説かれていますが、いかに多くの罪を有したとしても、この仏舎利を(1)することによって、(2)への道が開けると説かれています。
 それはどういうことでしょうか。これは、この舎利、真理勝者サキャ神賢の舎利から発される、偉大なサットヴァの光によって、わたしたちの(3)が完全に、まず洗い出されると。
 そしてその洗い出された結果として、わたしたちはその(4)の清算をこの人間の生で行なうことができると。そしてそれによって、わたしたちは(2)界へ至ることができるんだという教えです。


 では、出家修行においては、どのような実践がなされなければならないのでしょうか。
 原則としては、三十七道品の体系というふうにいわれていますが、実際にはこの三十七道品が同時に行なわれるわけではありません。
 まず第一番目に来るのは、五根あるいは(5)と呼ばれる実践が来ます。
 そして、その段階の中間段階において、四つの(6)――つまり、今オウム真理教では「四つの記憶修習」と訳していますが――四つの記憶修習、それから二正勤二正断の実践に入ります。
 そして七覚支の実践に入ります。この七覚支の最終段階において、四つの(7)と、それから聖なる八支の道の両方の実践が行なわれます。
 これはまさに、初めに信を持ち、そしてカルマの(8)を行ない、つまり捨断の瞑想を行ない、そののちに善法を(9)させ、神としての具足を行ない、そして大乗の(10)としての実践をし、輪廻を超越するという教えにほかなりません。


 つまり(11)と呼ばれるものと、それからスリランカでいわれているテーラヴァーダと呼ばれているものの違いは何かというと、体系はまず同じであると。
 そして違いは、自己の滅尽の境地、(12)の境地に集中するのか、あるいはそれを終了して、そののちすべての魂のために自分の人生を懸けて生きるのかという違い。そしてもう一つは、輪廻を完全に(13)しているかどうかの違いということになるでしょう。


 これは、わたしたちに大きな示唆を与えてくれます。
 例えば、大完全煩悩破壊をなさったサキャ神賢は、今どこにいらっしゃるのか。いや、サキャ神賢は完全煩悩破壊、大完全煩悩破壊をなさったわけだから、つまりニルヴァーナの境地に到達なさってらっしゃるわけだから、(14)していないんだと考える考え方です。
 しかし、サキャ神賢は「(14)をしていない」ということを(15)しています。
 では、サキャ神賢は、例えば一般の大乗で説かれているように、(14)しているのかということについて、検討しなければなりません。
 しかし、サキャ神賢は「(14)している」ことを(15)します。つまり(14)はしているとは説きません。
 こう考えると、わたしたちの(16)の意識は大きな悩みにぶつかるのです。「(14)していない」「(14)している」――では一体、サキャ神賢はどのような状態でいらっしゃるのだろうか。
 この(16)の意識は、わたしたちがコントロール不可能な生・死というものから生じます。


 しかし、すべてが自由であるとしたらどうでしょうか。しかも、(17)そのものが、すべての世界を覆っているとしたらどうでしょうか。しかも、(17)そのものが、時を完全に覆っているとしたらどうなるでしょうか。
 つまり、過去・現在・未来にまたがり、完全に(17)がその全体を覆っているとしたら、どうなるでしょうか。
 これが、例えばテーラヴァーダの経典で、ケーマー・ビックニーや、あるいはマハーモッガッラーナ・ビックが、サキャ神賢について、あるいは実際サキャ神賢そのものが自分の状態についてお説きになった経典の答えなのです。
 つまり、完全にすべての(17)が覆った場合、そのすべてに魂は(18)しているということになります。しかし、固定的な形を取りませんから、すべてに(18)していないと言うこともできます。


 それは、修行の過程において、わたしたちの(19)の詰まりというものが一つ一つ解放されると、わたしたちの意識は(20)に向かいます。そして、自分の本質そのものはこの身体ではないことに気付きます。
 初めは室内の(21)、そして家の中のすべての(21)、それから周りのエリアの(21)等々に広がり、そして徐々に徐々にこの地球全体の(21)、宇宙の(21)へと移行していくのです。
 すると、この経験をしている弟子にとって、自分自身のグルであるサキャ神賢が、いかに(22)な魂であるかということについては、よく理解できるはずです。


 南伝仏教と北伝仏教の違いというものは何かというと、教えを(23)化するかしないかの違いがあります。
 例えば、わたしたちの五つの覚醒段階を、五つの(24)の状態、ブッダの状態で表わすと。そして、それを例えば、五つのヴァジラの象、つまりヴァジラとして(23)として表わします。
 例えば心の(25)を払うときに、今回贈呈したような曲刀をわざわざ握り締め、そしてその(25)を払います。スリランカにおいても、例えばろうそくを灯したりとか、香を上げたりとかいう儀式がありますから、その部分で似ている部分はありますが、それをより具体的に(23)的に展開したのが、この北伝仏教の特徴です。