アレフ教学システム 問題D
第6章 20話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 魂には、“(1)”そして“退化”の、二つのプロセスしか存在しない。この、魂の(1)と退化は、何によって表わされるのかというと、それは、(2)・管・心滴の関係によって表わすことができる。
 まず、わたしたちが修行を行ない、そして、わたしたちの(3)的な意識の(4)からの脱出を果たし、そして、一つでも二つでも高い意識状態へ至るとするならば、それは“(1)”ということができる。
 逆に、わたしたちが、今あるステージから(2)の働きが撤退し、そして下の(4)に固定されるとするならば、それは“退化”ということができる。


 次は、例えば(5)であると。この(5)は、要するに天候を司る神々を(6)する力を表わしています。
 従って、もしあなた方が、例えばその神々と完全につながり、そして、あなた方の意思によって(6)することができるようになるならば、これも一つの(7)だよね。天候を変化させることができるわけだから。それは、(5)の世界の天の才能を得た、(8)したということができます。


 「ニルヴァーナとは、一般的に(9)の状態である」と、インド仏教、インド宗教ではいいます。しかし、これは嘘八百であると。なぜならば、「大いなる善行、徳行、寂静の修行、法則の修行を達成した者が、(9)になるのはおかしいじゃないか」という考え方があると。
 そう、つまり、ある一定のエネルギーの状態が、その閾値、つまり限界点を超えた段階で(10)が起こり、そして、すべての(11)現象が関与しなくなった状態と見ることができます。


 つまり、何を言いたいのかというと、この世において、この三界において、全く何の不(12)もなく自在に生きることのできる状態、これこそが(13)の状態であると見ることができるんだよ。
 つまり、別の言い方をするならば、(14)すら(12)であると。つまり「(14)がない」ではなく、「(14)が破壊された」ではなく、正確な言い方をすれば「(14)すら(12)である」と。
 つまり、(14)しなければしないで済むし、(14)したければするで済むし、あるいは(14)したい所にどこでも(12)に(15)できるというのが、(13)、ニルヴァーナの状態であるということができると。


 つまり、これは例えば輪廻転生においてもそうだし、あるいは一つ一つの行動についてもそうだけども、自分の今の状態に合わない選択をしてしまうと。
 その意味において、(16)の修行というのが必要であるということだね。
 つまり、完全に過去・現在・未来を通して見つめる力があり、そして、何をどのように行なえば自己の(17)になるのか、あるいは他の(17)になるのかを、しっかりと見つめることのできる状態をつくるために、(16)の修行が必要であるということができると。


 つまり、(18)の実践というものは何かというと、要するに、現象を自己の意のままに動かすための(19)をしっかりと理解する実践である、ということができると。


 では、善の修行や(20)の修行については、なぜそれが必要なんだという疑問が出てくると。
 それは、要するに、例えば法則を理解し寂静に至ったとしても、加速度をつけるためには(21)が必要であると。
 その(21)が、善の修行であり(20)の修行であるということを理解するならば、善・(20)・法則・寂静といった四つの修行がわたしたちに不可欠であること、これが理解できるはずである。


 この(22)成就というのは大変くせ者であると。
 それは、先程も述べたとおり、現在・過去・未来というこの三世において、あるいは生まれてから今までの流れにおいて、経験の構成にとらわれている場合、その(22)成就が本当の意味で(23)にならない場合があるんだということを、認識する必要があると。
 つまり、その(22)がかなうことにより、未来において不幸になる可能性もあると。
 従って、まず意識の幅を広げ、世界観をしっかりマスターし、(24)を行ない、そして真の(23)とは何か、その真の(23)において、自己の(22)としているものがどのような位置付けにあるのか、ということをしっかりと理解しない限り、その(22)成就というものは甚だ(25)であると。