アレフ教学システム 問題D
第6章 15・16話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 まず、テーラヴァーダの仏教においては、(1)を守らなければなりません。
 なぜ(1)を守る必要があるのかというと、それは身の行ないや言葉の行ない、これをしっかりと一つの(2)に向け、データとしてけがれたものを捨断する、そしてそれによって、心に要素の集合における一つの(3)を設けると。


 「仏教とヨーガの違いは何かというと、それは(4)である」と。
 (4)であるとは何かというと、それは正しい(5)であると。つまり、この身体の構成部分を一つ一つ正確に(5)する、感覚の構成部分を一つ一つ正確に(5)する、(6)の構成部分を一つ一つ(5)する、そして法則の正しい構成部分を一つ一つ(5)すると。


 そして、今日これからの瞑想は、まず、アーナーパーナ・サティ、つまり、入息出息の練習、それからそこで現われる(7)の集中・思索といったプロセスを、これから行なっていきたいと思います。
 まず、できるだけ厳しい(8)を組み、背筋を伸ばし、そして、両鼻からゆっくり息を入れます。このときの精神集中は、ブラフマランドラの真下の口腔内に集中します。これは入息出息とも行ないます。
 そして決して無理なクンバカをしないで、その呼吸の(9)のみに集中します。ではなぜそれが必要なのかというと、この部分での(9)は、当然ブラフマランドラに大きな影響を与えるからです。そしてこの部分こそ、前面にアージュニァー・チァクラ、上方にサハスラーラ・チァクラを臨む、(10)の分岐点であるのです。
 ですから皆さんの心の本質がデーヴァに向かっていれば、デーヴァ的な(7)が射し、あるいは君たち、あなた方の本質が解脱へ向かっていれば、(11)世界からの(7)が射し込んでくることでしょう。


 特に腰の座り方、座法の組み込み等をしっかりとチェックしてください。
 はい、そのまま、第三段階としては、浮いてきた光に精神を(12)していると、その光の色の根元となる情報・(13)が聞こえてきます。その情報を無常・(14)・無我といった、仏教的本質的な考え方を基づいて打破すると。それによってより深い空間のサマディ、(15)と到達することができます。


 この光から、(16)、そしてその(16)に対する(17)の瞑想と。これによって空サマディへと到達すると。ところで問題は、この(16)に対する(17)の瞑想ができるかどうかというものは、日ごろからあなた方の中に、遠離・(18)、そして解脱のデータが入ってるかどうか、それがポイントになってきます。


 では、なぜ戒・サマディ・智慧・(19)・(19)智見が必要なのかというと、今言ったとおり、この遠離・離貪へと導くと、そして(19)へと導くと、あるいはニルヴァーナへと導くというものは、まず戒によってしっかりと(20)のフォームを確定させると。そして、このように入息出息の修行によって、しっかりと光へと到達すると。次に光から情報、つまり(21)へと到達し、(21)から(19)へと到達すると。そして(19)から(22)へと到達すると。


 ではなぜ、徳・(23)の修行が必要なのかというと、この徳の修行や(23)の修行によって、エネルギーをまず(24)させると。そして、エネルギーを(24)させることによって、わたしたちはいろんな(25)を戒律によって捨断すると。そして、捨断することによって、そのエネルギーは(24)するという形になると。つまり、もうこうなってくると、十のパーラミターや、あるいは六つのパーラミターの考え方が導入され、結局その全体の流れが一つの流れであることを理解することができます。