アレフ教学システム 問題D
第6章 11話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 (1)とは何かというと、わたしたちが「(2)をこのように生きたい」、あるいは「修行をこのように(3)したいんだ」という目的に対して、その(4)に生きるということである。
 もちろん、(5)の(3)後、つまり供養値魂に至ってからの(2)は、そのような特定のものに(6)するのではなく、一般的には、心の(7)に対して(6)し続けるということが原則であるといわれている。


 例えば、ある人がある人を導きたいと考えたと。まず、(8)を行なう。「わたしはあの人を導くぞ。わたしはあの人を導くぞ」と(8)を行なうと。
 そして、第二番目においては、「あの人を導くためには、自分自身が(9)しなければならないものは、例えば(10)と瞑想体験である」、あるいは「相手の好みを理解するぞ」等の、(11)精進の如意を(9)すると。
 三番目は、それを実践しながら、「これによって必ず相手を救済できるんだ。これによって必ず相手を救済することができるんだ」という(12)の如意を(9)すると。
 そして、最終段階において、「今相手の心はこうなっている。よって、この部分とこの部分が欠落しているから、それを補えば必ず達成できる」というふうなね、しっかりと(13)の瞑想を行なうと。
 そして、この四つの瞑想を繰り返し繰り返し行なうことにより、完全な対象に対する救済の(14)と化すると。


 そして、この如意は、(15)の(16)段階の(15)ステージであるといわれている。
 従って、本来はこの前に四つの心の専住するところ、下位に結び付ける五つの(17)、上位に結び付ける五つの(17)、あるいは、五つの潜在的能力、五つの力、あるいは七つの(18)、八つの聖なる道、そして、二つの断と二つの勤だね、こののちに四つの如意が来ると考えるべきである。
 つまり、(19)されていないものにいくら美しいものを塗り付けたとしても、自分の思っている(20)が塗れないと。


 そして、もしこの四つの如意を身に付けることができるならば、この世において(21)がままに生き、(22)も(21)がままに生き、その次の生も(21)がままに生きることができると。
 従って、この如意は、(23)に到達する道具だけでなく、この(24)において(25)の法則の一つであるといわれている。