アレフ教学システム 問題D
第6章 8話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
この南伝系仏教と北伝系仏教の特徴的な違いは、南伝系仏教は、まず「(1)的仏教」と言うことができる。そして北伝系仏教は、「(2)的仏教」と言うことができよう。
この(1)的仏教と(2)的仏教とはどのようなことかというと、まず(1)的仏教とは、例えば、(3)の実践を行なうことによって色究竟天へと到達し、マハー・ニルヴァーナへと入ると。例えば、七覚支の実践を行なうことによって仏陀となると。このようなことが中心として説かれている教えである。
北伝系仏教は、もちろんこれもある程度完備されているが、それよりも、それによって出てくる結果、(2)、例えば(4)はどのように構成されてどのように破壊されるかだとか、あるいは、どういう世界がどのように広がっているかだとかいうことが中心に説かれている教えである。
もっと別の言い方をすれば、南伝系仏教、もっと正確な言い方をすれば「上座部仏教」と言ってもいいのかもしれないが、これは“経”中心の教えであると。そして、北伝系仏教は“(5)”中心の教えであると言うことができよう。
ここで問題になってくるのは、その五蘊の(6)、この五蘊の(6)が実際に行としてスタートし、そして対象に対してそれが実現する前に、既にわたしたちの五蘊の中で、そのような形成がなされているんだということの認識である。
もしこの認識を怠るならば、当然わたしたちの(7)というものは、外界によって形成されていったかのように錯覚を受けることになる。
ところが、もし、この(8)の瞬間瞬間の変化というものを注意深く見、聞き、そして味わい、嗅覚として感じることができると、あるいは触覚的に感じることができるようになったならば、それに対して敏感となり、自分自身の(6)がどのような方向に向かっているのかということをはっきりと、しかも素早く理解することができるようになるだろう。
つまり、(8)のスピードが速く、しかもそれに対する感受性が鋭ければ鋭いほど、その人は(9)な生命体と言うことができる。
この第一は、その(10)に至るための方法、実践方法をひたすら(11)し続けるということである。これが第一の(10)に至るための道である。
これを行なうことによって、初めはあるパートにしか対応できなかった知識も、いかなるパートにおいても対応できるようになってくる。しかも、これは(11)ではなくて(11)し続ける、つまり(11)修習であるから、深くその(12)は根付き、(13)に対してもしっかりと対抗できるようになってくる。
では、四番目は何だと。四番目は、それらの修行について大いに(14)訓練をするということである。
これはどういうことかというと、例えば、自分たちを高い世界へ導くための布施・奉仕・(15)の厳守、あるいは(16)を落とされたときの状態、これらを(14)ようにし続ければ、その人は当然その方向へと導かれる。ところが、これらを(17)するように修習すれば、当然その傾向はストップするわけである。
よって四番目の修行は、この一、二、三について、それをなせることを大いに(14)という修行をすべきである。これが四番目の「喜覚支」なのである。
では、五番目の「(18)覚支」とは何かと。
これは大いに喜ぶ心の問題だけではなく、(19)がそのような実践により、つまり正記憶修習、そして法の(20)、そして悪業の断滅および善法の(21)という、これらの実践をなすことによって、「自分のカルマはどんどん良くなってきているんだ」と、「よって(19)はどんどん(22)になっていってるんだ」と、それを意識しつつ実践すると。
この(23)覚支とは何かというと、今自分の行なっている状態を正確に見つめる。まあ、これは六つの極限では寂止と(24)ということになるけどね。
つまり、自分の(25)はきちんと行なわれているか、正法の実践をしているかどうかを視覚的、聴覚的、嗅覚的に神秘の世界に没入させ、それを見極めるわけである。これが六番目の覚支である。