アレフ教学システム 問題D
第6章 7話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 つまり(1)者が本当に(1)できるかどうかということは、この二番目の(2)における潜在性、あるいは能力といった段階で決定されるということができる。
 例えばここに入信した信徒がいて「わたしは(1)できないんです」という話をしたとするならば、それは正しい言葉ではない。それは、この第二番目の(2)の段階における(3)がなされていないからであるということができる。
 例えばオウム真理教においては、欲如意足とか(4)と呼ばれるものがある。これは(1)を進めるために、そのデータをひたすら入れる作業である。そして、この作業があってこそ初めて、次の「(3)根」「(3)力」といったようなものに移行できるのである。
 かくいうわたしも、シャクティーパットやイニシエーションを行なったあと、(5)がなくなりデータが変わり、そして(1)ができなくなることがある。
 そのときにわたしは、まず(6)を聴き、そして次に(4)を聴き続けると。それは横になっているときも、あるいは座っているときも、ずっと聴き続けると。そして、それによりデータが少しずつ入れ替わり、また元の自分の意識状態に戻り、そしてやっと(1)できると。


 つまり記憶がその魂の(7)を制約し、そして一定の(8)に導くためには、何度も何度も繰り返し繰り返し(9)を入れ続ける必要があるのである。そして、一つのことを(10)するためにどれくらいの時間が必要かというと、最低百時間とか、二百時間とか、同じ(9)を入れ続けない限り、その(7)パターンは変わらないというのがわたしの経験から来る解答である。


 これらの記憶修習が能力となったとき、例えば、いろいろな(11)を完全に封じ込めることができ、そして(11)なき安楽の状態を経験したとき、その魂は(12)へ至るための潜在的な能力を獲得したことになる。つまり、第一静慮、遠離・(13)から来る安らぎの境地という第一静慮の土台ができ上がったことになる。
 しかし、いくら土台ができ上がったとしても、その魂が(14)を組み、しっかりと腰を入れ、長く座り続けることができない限り、有熟考にして有吟味である第一の静慮を達成することはできないと。
 つまり、ここで大切になってくるのは、単なる(11)の(15)だけでは(12)の潜在的な能力を獲得したとは言えるが、(12)の能力を獲得したとは言えないのである。そこには、(16)の力、そして思索をするための(17)の確定、そして(14)をしっかり組み、腰を入れて何時間も座れるという土台、このようなものが確定されて初めて、(12)における潜在性が確定することになる。
 そしてこの(12)における潜在性が確定したら、次の段階として、それが能力へと還元される。


 ところで(18)が降りたならば、それは(19)へと到達したことになるのかと。(19)の潜在的能力を確定したことにはなる。しかし、(19)へと到達したことにはまだならないと。
 その(18)が降りたあと、いろいろな(20)が生じ、そして、例えばその(18)にもね、いろいろな(18)があるわけだけど、太陽(18)のような(18)、あるいはまさに白銀(18)のような(18)、あるいは透明なクリアライトの(18)等々の(18)の経験があるが、それらの一つ一つの(20)に合わせて、一つ一つの(19)が発現すると。これが(19)の潜在的能力と、それから(19)の能力の顕現化との違いである。
 そして、それによりわたしたちは、(21)を獲得し解脱するのである。


 従って皆さんは、まず(22)が出なくとも、その段階においては自分自身の潜在能力、潜在的な力は(23)しているんだと確信をすべきである。そしてそれが(24)化するまでには時間がかかるんだと。そして、それに対して確信を持ち、コツコツと自分のできる範囲内で(25)を続けるならば、いずれ必ずこの五根五力に従って(22)が現われるはずである。いいね。