アレフ教学システム 問題D
第6章 6話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 まず、七科三十七道品の中に(1)というものがある。(1)とは何かといったら、ね、わたしたちは修行を(2)するためにはものすごい(3)が必要であり、そして、悪業を断じなければならない。それが(1)であると。
 これは一体何かというとね、まず第一に今なしている善行、これを、ね、「もっともっと(4)したい」と、「もっともっと強めたい」と、こう考える修行。これが第一の過程である。


 そして、第四番目は、自分の(5)にいる人たちを見て、自分自身にも生じるであろう(6)、(7)において生じるであろう(6)をね、「決して生じないようにするぞ」と、ね。
 例えば、悪口をよく言う人がいたら、その人を見て、ね、もし今自分自身がその(6)をなしてなければ、「決して悪口を言わないようにするぞ」と、例えばね。
 例えば、(8)の多い人がそばにいて、その(8)の多い人を見ていると、ね。そして、その(8)の多い人の状態を見て、その人の精神状態が、ね、一見楽しそうにしてるけど本当は(9)なものであることに気付くと。そして、まだその人が(8)を発してなければね、「わたしは決して(8)を発しないぞ」と例えば思うと、ね。
 このように思うこと、(7)において生じる(6)を生じさせなくすること、ね、これが四正断といわれるものだ。そしてこの実践は、わたしたちをより(10)世界へ引き上げてくれる。


 そして、(11)の(12)とは何かと、ね。
 これは、(13)にしかなかなかわからないんだけども、要するに(14)のデータ。このデータが大変な功徳があって、ね、それが素晴らしいデータとなって蓄積されていると、ね。そして、わたしたちは(14)に動かされているわけだから、この現象の生活そのものも、ね、大変(15)であると。これが、(11)における(12)であると。
 では、(11)における(16)とは何だろうかと、ね。
 それは、わたしたちが悪業を積み、その悪業によってわたしたちの(11)のデータが、ね、正しくないデータが入ると。そうすると例えばこの現象の生活においてもね、なかなか思うように生きることができないと。
 もちろん、君たちが(17)を深めていけば、その(11)、その(11)が一体どういうデータを持っているのかということに気付くだろう、ね。それでその(11)を知るならば、自分の、ね、もともと持っている(11)自体がどれほど濁っているデータなのか、理解できるはずである。


 この愛喜と苦悩を知るということは、これから(18)するための条件なんだと。(18)とは何かと。この五蘊から出で離れることなんだと。では、出で離れるとはどういうことだと。
 それは先程も言った、例えば四つの(19)を行なう。例えば、ね、瞑想をする。こういうことによって、自分のまず五蘊を知り、その愛喜とそれから苦悩を知り、ね、そしてそれに対して綜制を加え、つまり精神の(20)を加え外していくと。これが(18)であると。
 では一体、一つの(21)を外すのにどれぐらいの時間がかかるんだと。大体(22)かかると。(22)以上一つの(21)に対して(20)し切るならば、当然その(21)を消すことができると。
 そして(20)するために必要なこと、それが先程言った悪業を滅し善業を(23)させることなんだと、ね。
 ということは、今あなた方が行なっている(24)、これは一体どういう意味があるんだと考えたら、まず功徳を(23)さしていると。そして、それに(20)する訓練をなしている人は、瞑想修行に入ったとき楽々(22)、三時間、四時間とね、瞑想修行ができると、ね。そして、シッシャであるからには当然(25)というものがあるから、悪業をなさなくて済むと。よって、君たちは(18)ができるというわけだ。