アレフ教学システム 問題D
第6章 4話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
わたしたちを構成しているものは、五つの(1)がある。
その五つの(1)とは、まず形状-容姿であると。この形状-容姿とは何かというと、わたしたちの身体、あるいは顔立ち等を含む外的なものである。
第二番目は(2)である。第三番目は表象、つまりイメージである。第四番目は意志である。それで第五番目は(3)である。
この形状-容姿・(2)・表象・意志・(3)、この五つを五蘊と呼んでいる。
そしてこの五蘊の働きによって、わたしたちは(4)を経験させられている。別な言い方をするならば、この五蘊の中に(4)の源が存在しなければ、いかなる状況であろうとも、わたしたちに苦しみというものは存在しない。
では、そのためには何をなすんだと。それは(5)を増大させ、悪法を減少させることである。
では、(5)を増大させるとは何かと。これは、今まだなすことのできない(6)に対して、一生懸命その(6)がなせますようにと(7)し続けると。
第二番目は、それによって得た結果、しっかりと(6)の実践を行なう、あるいは今なせる(6)の実践を行なうと。
今、断ずることのできない不善の法に対して、それを(8)しようと心に(7)すると。それが(8)できなくても、(8)しようと心に(7)すると。
そして、今できる悪法に対してはしっかりと(8)すると。
いやそれは、やはり広大な(9)の体系、そして絶対的な自由・幸福・歓喜を与えてくれる(9)の体系に対して、しっかりと(10)をつくることである。
では、しっかりと(10)をつくるとはどういうことかと。
それはまず第一に、(11)の土台、ポテンシャルをつくることである。そして次の生も、その次の生から次の生へ(12)するときも、そのポテンシャルの力によって、しっかり(12)できるぐらいの土台固めをしようじゃないかと、ね。
この(13)部分の、七つの(13)部分の実践とは何かというと、これはより一層自分たちの目覚めつつある(13)状態をはっきりと(14)させていくための修行である。
例えば、それはどういうことかというと、ちょうどこの、その前に行なっている五つのポテンシャル、および五つの力というものは、(13)のドアをちょっと開いた段階に相当する。よってこれを(15)な形で開くためには、七つの(13)部分の修行に入らなければならない。
それは、その(13)そのものが、自分自身を駄目にする、あるいは自分自身をなくすのではなく、自分の(16)的な部分に到達するんだということをしっかりと認識した上で行なわなければならない。
では、まず何を行なうのかと、ね。それは、まずしっかりと(13)に対する記憶修習の徹底であると。
今まで行なってきたのは、(17)に到達するための記憶修習であった。しかし、次に行なうのはそうではなく、(13)に、(15)なる(13)に至るための記憶修習であると。
そして、涅槃しがちになる自己の意識を叩きながらより一層努力をし、すべての(18)のために自己がここに存在し、そしてすべての(18)のために真理の実践を行なうんだということを心に思念し続けながら、第六番目が始まる。
そして第七番目は、より一層高い記憶修習の段階である。つまり、(19)とは何か、あるいは世界とは何か、あるいは止滅とは何かといったようなね、最後の最も高い記憶修習の段階に入り、そしてそれに基づいて(19)に入ると。
当然、それに基づいて(19)に入ることによって、正しい(20)が生じてくる。
まずそのためには、自分自身はこのような救済者となろうという形の(21)が生じてくる。(21)の如意が生じてくる。
そして次は、それに基づいて努力を始めると。つまり(22)の如意である。
そして、それを日々(23)し続け、完全に確定させると。これが(24)の如意である。
そして最終的には、自己の今の状態と目的とのギャップを検討しながら、しっかりと(25)し、観慧によって完成させると。これは第四番目の観慧の如意である。