アレフ教学システム 問題D
第6章 3話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 この五蘊とは、皆さんもよく知っている色、これはわたしたちの肉体、(1)のあるもの、これを色といいます。
 受、これは(2)。例えば目で物を見る、耳で音を聞く、舌で物を味わうといったようなもの。
 想、これは(3)である。わたしたちが、例えば「らくだ」という名前を聞いたときに、パッとらくだの(1)が浮いてくると。あるいは、「悪魔」という名前を聞いたときに、日ごろ培っている正しくない(4)によって、「こういう顔のこういう(1)のものである」という(3)が出てくる。これが、想である。
 そして(5)、これは意志である。つまり、「いついつまでに何々を達成する」だとか、あるいは「これをこのような(1)で動かすぞ」といったような意気込み、これが意志である。
 そして最後の(6)。これは瞑想を深くやっていればよく経験することだが、わたしたちの肉体の構成部分は(6)で形成されていると。つまり、(4)の集まり、(4)の塊、塊だね、これが(6)である。


 まず、四つの預流支の第一は、如来に対する(7)、仏陀に対する(7)、あるいはグルに対する(7)を説きます。
 これは何を表わしてるかというと、わたしたちのまず(8)地点に対する、ね、つまりあなた方の心の到達しなければならない(8)地点に対する(7)をしなさいよと。
 あなた方は現実の生活によって、いろいろなものを見えなくされ、聞こえなくされていると。だから、既にそれを(9)した者、それを(9)した者に対して(7)をすることにより、あなた方の本質、心の(10)とそれをダブらせ、(7)をしなさいよと。これが第一の(7)であると。


 なぜここで「聴き、読み」で止めるのかというと、多くの教義を聴き、読まないと、自己の生まれてから今までの(11)、つまり三悪趣へ至るための(11)によって(12)をねじ曲げてしまいます。よって、まずはデータの入れ替えという意味において、グルの教え、あるいは経典の教えというものを(13)も(13)も聴く必要があります。
 よくね、優秀な人で過ちが多い。それは、パッと(14)してしまうから、もうそれをいかにも「自分のものになった」という錯覚を起こすわけだね。
 ところが、実際深い意識というのは、もう小さい時から、テレビ、雑誌、新聞、あるいは友人関係等で大量のデータを入れていますから、心の奥底のデータというものは濁ってると。


 次に第三番目の預流支。これはそのデータを聴き、あるいは読み、それに基づいて(15)と。
 この「(15)」とは何かというと、例えば自己の(16)について(15)と。あるいは、(17)の(16)について(15)と。
 よく皆さんは、こういう質問をわたしにします。「(17)が(18)しないんだけど、どうしたらいいでしょうか」と。しかし、わたしが思うには、(17)が(18)しないのではなく、あなた方がまだ(19)が入っていないんだと。つまり一番目の、「説法を聴き、それから読む」という段階が少ないがために、(17)の言葉、あるいは感情に翻弄されてしまうと。
 本来凡夫、あるいは真理に到達できない外道というものは、(20)べき存在である。なぜならば、心の本性へ到達できないからである。
 そこを考え、しっかりと押さえ、そして真理を学び、次に(15)と。そして、諸現象について(15)ならば、「すべての(16)は必ず(21)できる問題である」と、「(21)できない問題は、この世に存在しないんだ」ということが(18)できるでしょう。


 ということは、この四つの(22)というものは、まず自己の道筋を第一の(22)で決めると。そして、第二の(22)で学び、第三の(22)でその道筋に沿って考え、第四番目の(22)によって(23)すると。
 ということは、あなた方の五蘊は、この人間に生まれ、今まで(24)のデータがたくさん詰まってたこの五蘊は徐々に徐々に変化し、そして人間へと変化し、憤怒天へと変化し、戯忘天へと変化し、そして色界の天界へと変化し、無色界の天界へと変化し、最終的には(25)へと到達するということになるわけです。