アレフ教学システム 問題D
第5章 11話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
では、「(1)」とは何かと。これは大いなる功徳であり、そして、サンプリング能力のもう一つの「(2)する力」とは何かといったら、これは(3)の理解および、実際問題として(3)によって経験した自分自身の体験、そしてそれと同時に対象に対する(4)力、ということがいえるであろう。いくら精神(4)をしたとしても、そこに(1)がなければ、対象を正確に映し出すことはできないのである。
これはちょうど、今まで「これが“(5)”だ」と思っていた心の働きが、(6)状態に追い込まれたとき、全く別の“(5)”の登場によって戸惑っている状態と見ることができる。
しかし、よく考えてみると、もともと存在しないものを(5)たちは経験することはできないわけだから、「それはもともと(5)たちの持っていた(7)である」と割り切るならば、(5)たちは今の修行に集中できるはずである。
そこで、次のポイントを検討することとなる。つまり、単純に厭逆できない環境である場合は、何をなすのかと。それは当然、自己の欲求によって食を受けるわけだから、次は(8)の修習、(8)の実践を行なうしかないな、ということになってくる。
わたしは、今までインドのヨーガの成就者や、あるいは仏教の成就者たちの何人かのグルを知り、そして教えを請うたことがあるが、わたしには「(8)の瞑想は必要ないよ」とどのグルも言った。また、「(9)の実践をする必要もない」と言われたこともある。それはどういうことかというと、わたしの内側にすでに(9)が確立していたからである。
しかし、わたしのもともと求めている実践は、インドの成就者やあるいはチベットの成就者が言ってらっしゃる「(9)」、それから「瞑想」「解脱」といったプロセスではない。絶えず(10)の実践を行なう。
例えば(9)の場合、死ぬまで(9)をし続ける。例えば持戒についても自己の決めた持戒については徹底的にそれを達成する等の、わたしの中の今生の修行の(11)として確定がある。
ここでわたしが「(11)」と言ったのは、せっかくの成就者のアドバイスを、わたし自体が「そうか」と受け流したからである。そして、これらの(11)は、わたしがこの経済的豊かな国、日本であなた方を指導する上において、そして長寿を得る上において、そしてエネルギー交換したのちも何の変化もなく救済活動を続ける上において、必要な条件であることは言うまでもない。
絶えず土台を固め、そして、捨断できないものは(8)へと変化し、最終的には自然とすべてが上流の(12)として変化できるようになったら、わたしの修行としては最高であると考えている。
このような形で(13)したもの、極限状態で出てきたものを(13)し、そして(14)する、あるいは昇華する。すると次に現われるのが、(15)であり、離(15)であり、あるいは神通力であると。考えてみると、たったのこの三つのステップしかないと。
そしてその神通は、不確定要素が多いから、次はひたすら(16)を繰り返す。つまり(13)・(14)・(17)、これをひたすら繰り返すと。そして、心を寂静にし、対象に対する正しい(18)を繰り返し繰り返し行なうことにより、より確定した、はっきりした意識状態が現われてくる。
そしてその、はっきりした意識状態は、わたしたちに、「すべての現象に対する(19)は無意味である。すべては過去の(20)の現われであり、あるいは過去世の(20)の現われであり、そういうものに(19)しても何の意味もないんだ」。
そして最終的に、いかなるものに頓着しても意味がないということを理解し、ただ集中を続け、精進を続け、そして(21)と、(21)から来る離解脱と、離解脱から来る離解脱精通見解、つまり神秘的な力、神秘的な世界の経験、これを繰り返し繰り返し行ない、心においては邪悪心や害心を捨断するための「聖慈愛」、(22)を捨断するための「哀れみ」の瞑想、闘争を捨断するための「(23)」の瞑想、そして(24)を捨断するための「無頓着」の瞑想、これらを繰り返し繰り返し行ない実践することにより、わたしたちは心が少しずつ(25)し、そして解脱へ向かうのである。