アレフ教学システム 問題D
第5章 10話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
わたしたちの苦しみを乗り越える、第一弾、それは、まず地獄・動物・餓鬼という三つの(1)の転生を捨断すること。
そして、第二番目には、この(2)界へ生まれても、悲しみや憂いや苦しみといった心の苦しみを取り除くこと。
そして、第三段階は、(2)界以上の喜び多き世界へ転生すること。
そして、第四段階は、解脱し悟り絶対的境地を確立し、そして(3)の状態をつくり上げること。
よく間違った仏教解説の中で、絶対(4)とは、この世に生きていながら(4)奔放に、カルマにとらわれず生きることであるという話があります。しかし、これは正しくありません。
なぜならば、(4)奔放に生きているようで、実際この(5)は病み、老い、そして死の三つの法則を避けることができないからです。
しかし、もし、わたしたちが心のままに(6)を自在につくり出し、そしてその(6)の中に意識を移し、自在に生きることができるならば、それはどうでしょうか。例えば、この(6)を法身の状態に戻す、つまり(7)のない状態に戻すとき、あるいはつくり出すとき、それが意志どおりに行なわれるとするならば、それは絶対(4)のはずです。
では次に、絶対(8)とは何でしょうか。
これは、解脱をしたことにより三界を知り、そして三界を知ったことにより、この諸現象の(9)の法則をすべて理解できると。そして(10)に没入しない心の状態が完成されると。
(10)に没入しない心の状態が完成されるということは、それによって一切(10)が生起しない、その状態を絶対(8)と言っているわけです。
では、絶対歓喜とは何でしょうか。
これは、真理の修行者は寂止の行だけ行なうわけではなく、(11)の修行も当然行ないます。身・口・意、三つの(11)の修行がわたしたちの(12)に内在し蓄えられていくとき、その肉体は、そして感覚は、表象は、意志は、意識は、すべて(13)の蘊と変わるわけです。
そして、この(13)の蘊を漏らすことはありませんから、永遠の(13)を内在し続けた五蘊ということができます。そしてこの状態を絶対歓喜と言っているわけです。
(14)波羅蜜とは何かというと、いかなる苦しみが自分自身に襲ってきたとしても、それに対してしっかり(15)の教えにのっとり受け止め、そしてこれはカルマが落とされてるんだと理解すること。
そして日々の生活において精進波羅蜜の完成をすること。
この精進波羅蜜は、わたしたちのすべての生活において、今なしている善法を(16)、良い法則の実践を(16)させ、そしてまだなすことのできない良い法則の実践を学び、そしてそれに着手すると。
そして、今なしている悪い法則の実践を(17)し、今からなすかもしれない悪い法則についてはしっかり(15)を学び、記憶修習し、(17)すると。
ここで、(18)について少しお話をしましょう。
例えば、ある人が、あるスポーツ選手が戦いに勝つことだけに心が傾いていたとしましょう。そして、この人が瞑想に入ったと。この人は四つの(19)と、そして一つの味著について(18)をしなければなりません。
四つの(19)とは何かというと、それはまず第一に、勝ったときに、勝ったがために心が掉挙となり、心が揺れ、すべての現象に対して(20)認識できなくなるという状態。
次に、勝ったがために負けた(21)から恨まれるという状態。
次に、負けたがために(22)の念が起き、周りの諸現象に対して(20)認識できないという状態。
そして、負けたがために勝った(21)を恨むという状態。
この四つの(19)と、そして一つの勝った(23)の、(23)の喜びという味著、これを(18)により経験し、そして落とさなければなりません。
このような形で、それぞれに与えられた数多くの課題を(24)により落としていきます。そして深い瞑想に入り、光が降りてきて、智慧が現われ、そしてサマディに入り、六つの神通力へと至り、最後の漏尽通にて(25)の解脱を完成するわけです。