アレフ教学システム 問題D
第4章 13話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 では、その四つの(1)とは何かというとね、まずこの世は総じて(2)であると。と言うと、「いや、わたしは楽だ」と考えている人もいるかもしれないけども、それはね、あなた方が智慧を働かせればわかることであると。
 では一体(2)とはどういうことかといったら、まず(3)や心にダイレクトに苦痛を受けること、これは苦しみだね、当然。どうかな。どうですか。よって、(2)であると。
 次に、今まで楽しいものは必ず壊れ去ってしまうと。これはどうかな。壊れ去らない楽しみっていうの、あると思うか、君たちは。どうだ。
 楽しいものというのは必ず壊れ去るよね。それは(4)を境として壊れ去るか、あるいは生きているうちに、ね、環境の変化、あるいは心の変化によって壊れ去るか、それは別として必ず壊れ去ると。よって(2)であると。
 そしてもう一つ、(5)として得られないもの、これも(2)であると。どうかな、これは。
 そしてこれ以外に当てはまる、ね、この三つに当てはまらないものっていうのがあるかといったら、ないわけだね。だから、この世は総じて(2)であると。
 これがまず第一のね、(2)諦――(2)諦っていうのは何かというと、(2)における(1)という意味なんです。
 そしてじゃあ次にね、この(2)というものは、わたしたちが生き続けている限り、わたしたちがこの世に生を受ける限り、必ず起きるんだと。必ずわたしたちは(2)を味わわなきゃなんないんだと。これはどうかな。皆さんシーンとしているね。理解できますか。
 で、これをね、(2)の(6)の諦ね、――(2)の(6)の諦というのは何かというと、(2)というものを必ずわたしたちは味わわなければならないという(1)と。これが第二番目に来ますと。
 そして、その(2)を味わわなければならない(1)というものは、(7)ことができるんだと。つまり、わたしたちはその(2)から解放されることができるんだと、ね。それはどういうことかというと、わたしたちが心を成熟させ、そしてものをありのままに見つめる力が生じたならば、わたしたちはそれから解放させられるんだよと。
 これが、滅の諦、――滅の諦というのは滅における(1)ということだ。
 そして、そのためにはどうしたらいいかと。そこで仏陀釈迦牟尼は、八つの正しい生き方をお説きになったわけだね。これを(8)というと。しかし、この(8)というのは、出家した弟子、つまりオウムでいったらシッシャでなければ実践できないわけだから、難しいと。
 そこで登場したのが、六つの(9)なんだと。つまり、六つの(9)というのは、ここにいらっしゃる一般の生活をしている人がね、成就していくための一つランクを落とした、というよりも(10)でも成就していける道なんだね。
 で、これを四諦といっていると。四諦というのは何かというと、四つの(1)ということだね。


 そして、例えばだよ、それだけ豊かな生活、あるいは(11)がかなっていればかなっているほど、この(12)に対して、あるいは生きることに対して、執着が(13)と思うか弱いと思うか、どうだ。
 そして、もし(13)とするならば、そこから(14)ときの死の苦しみというものは、大きいと思うか小さいと思うか、どうだ。
 つまり、必ず(15)の裏側には苦悩が生じているんだね。そして、わたしたちが先程の車と同じようなものの見方をすれば、その苦しみは少なくて済むと。


 では次に、第二のタイプの(16)者は何かというと、どうだ、これは友人、あるいは知人において、ね、事故をしたり、あるいはお金が高くてそのローンで苦しんだり、車によってね、してるわけだね。これを見て、「車というものも考えものだな」と考えると。
 これを人生に当てはめると、自分の(17)の人がケガをしたり、あるいは病んだり、あるいは死んだりしたときに、どうだ、「待てよ」と、「自己の観念の中に、死、あるいは老い、あるいは病というものが(18)として入っていないんじゃないか」と。どうだ。だから、それについて深く考えると。これが第二番目の人の智者のタイプなんです。わかりますか。


 しかし、逆の言い方をすれば、そういうものがあるがために、わたしたちは身近に死や(19)や老いというものを感じることがね、できづらくなっている。どうかな、これは。そして、感じることができづらくなっているということは、それはわたしたちにとってプラスだろうかマイナスだろうかと。どうだ、ね。
 よって、本当に一部の智者のみしか真理の実践をしなくなるんだね。
 そして、逆の言い方をするならばだよ、現象が(20)に現われてくれればくれるほど、本当は世の中は良くなるんだ。理由はわかりますか。
 もしここにね、「今生しかない」と、「今生、とにかく欲望を(21)させるぞ」と言う人がいたとしよう、ね。
 この人は善行をなすだろうか、それとも悪業をなすだろうか、どうだ。自己の喜びのために(22)というものが存在しないわけだから、悪業をなすよね。わかるかな、言っていることは。
 しかしもし、「(23)があるんだ」と。「きちんと正しい生き方をしなければ、その果報を受けることによって、地獄や餓鬼や(24)という苦しみの世界に生まれ変わるんだぞ」ということがわかっていれば、この人は善行をなすと思うか悪業をなすと思うか、どうだ。善行をなすよね。
 そして、現代は先程も言ったとおり、悪業をなしやすい状態であると、条件であると。特にその、(25)がいなくなったと。精神的な世界、ね、霊的な世界を完全に熟知している人がいなくなったと。