アレフ教学システム 問題D
第4章 11話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 (1)に対する落ち方というのは、三つあると。
 第一の(1)に対する落ち方は、(2)によって落ちると。
 これは、(3)、黒い(3)が差し込んできて、それに愛着している者。だからカラーとしては、黒色が好きな人、この人は(1)に落ちる確率が高いと経典でいわれていると。
 第二の条件というのは、(4)であると。
 それは、例えば(5)の想念の強い人ね、エゴがものすごく強い人というのは、その(5)によって相対する世界、反対側の世界、例えば暑さに対して(5)するならば寒さの世界、寒さに対して(5)するならば暑さの世界、あるいは、ね、単に多くの者に、例えば快楽の一部である、ね、異性に対して愛執が強ければ、その世界へと落ち込み、その世界の(1)が待っていると。
 そして、第三の(1)に至る道、これは(6)であると。このとき登場するのが、仏教の言葉を使えば閻魔天、ヨーガの言葉を使えば夜摩天であると。


 死後、(7)状態に入った、ね、その魂は、夜摩天の裁きを受けなければならないと。
 そこで夜摩天が、このように問うたと。
 ――『阿含経』ではね、三つの(8)というふうになってるわけだけど、わたしはそれを四つの(8)と置き換えて、ここで話をすることにしようと。
 夜摩天は、その地獄へ至る魂に対して、次のことを問うたと。
「お前は、わたしの遣わした第一の(8)を見なかったか」と。
 はい、君たち、君たちは第一の(8)を見ましたか。この人間の世界において。どうだ。
 ねえ、これは君たちが裁きを受けるとき、もし、わたしに(9)ができていなかったら、――わたしに(9)ができていたら、わたしがそばにいて君たちの(10)に立つかもしれない――しかし、(9)ができていなかったら、君たちが自分で答えなければならないことだから、よく聴かなければならない。ねえ、そして理解しなければならない。…(中略)…
 そして、(11)ある者は、ここで気付かなければならないと。この人間の世界というものは、(12)するものなんだと。
 そして、徳のあるとき、エネルギーの強いときには、それに対して、ね、興味を示さないけども、いずれ自分はそのような形になるんだということに気付かなければならないんだと。


 よってこれが御使いなんだよ。つまり、言い方を換えるならば、この老いというのはわたしたちに対する(13)なんだね。いいですか。
 ――わからないだろ。わかるか? 沈黙だね――つまりどういうことかというと、わたしたちは老いるよね。老いるという(14)があるからこそ、善行が積めるよね、言い方を換えれば。どうだ。
 もし、老いなければどうだ。悪いことをやったって、いいことをやったって、全然変わらなければどうだ。わたしたちは、自分のエゴを(15)させるために、煩悩のために、ね、悪いことだけをするんじゃないか? どうだ。


 この人間の世界で生きていて、人の(16)というものを知らないで、ね、この世から去るということは、まあ生まれて五歳とか、あるいは、ま、十歳ぐらいまではあるかもしれないけど、ほとんどの場合は、それ以上の場合不可能に近いよね。どうだ。
 そしてこの(16)というものは、わたしたちの欲望に対する(17)の役割を演じてるよね、当然。どうだ?
 なぜならば(18)だから、(16)の世界があるにしろないにしろ、そこでトランスフォームされると。いったん(19)が起きるよね。どうだ?


 そして、この夜摩天はこう考えたと。
「わたしは今、夜摩天界の王である」と。
「そして、多くの魂を裁いている」と。
「しかしわたしは、わたしですら(20)するんだ」と、ね。
「わたしはこういう拷問を受けたくない」と。
「だからもし、仏がおられ、そして(21)があり、その(21)の実践できる場があったならば、ぜひとも、その(22)から脱却したいものだ」と。
 そして、
「その(22)から脱却できることこそ、最高の素晴らしい(22)であり生き方だ」と。
 わかるかな、言ってることは、わたしが。
 そしてここにいる君たちは(23)をし、ね、ある程度の悪業をなし、もちろんある程度の善業をなし、ね、その善業によって(23)をし、今修行をしている、ね。
 そして君たちが到達できる世界は、小乗の三つ、ニルヴァーナ、(24)のマハーヤーナ、そして、(24)の最高点である、マハー・ニルヴァーナに君たちは到達することができるんだ、ね。その世界には、当然地獄も、餓鬼も、動物も、人間も、阿修羅も、天界もない。絶対的な平安、安らぎの世界であると。
 今君たちは、その世界に到達できる希有の(25)に恵まれている。