アレフ教学システム 問題D
第4章 10話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 よって、わたしたちは、意思の(1)というものを知らなければならない、ね。(2)の(1)というものを知らなければならない。
 はい、(2)の(1)とは、達成されたとき、あるいは意のままに生きるとき、それは喜びであると。
 しかし、もしその意思、あるいは欲望というものが、あるいは(2)というものが、満足できなかったときはどうなる? それは。苦しみとなるよね。
 そして、この(2)の方向性には三つあるね。まず、欲に対する(2)。そして、ね、(3)ものに対する(2)。そして、(4)に対する(2)と、ね。


 みんなはね、よくこう考えるかもしれない。俺は(5)だと。俺はタントラだと。ヒナヤーナなんていうのは、小乗なんていうのはくそっ食らえだと。
 しかし、君たちが考えているほど、ね、真理の道というのは、仏陀の道というのは甘くないと。本当の意味での(5)が始まるのはいつからだったかな。(6)を成就してからだ、ね。
 だから、まずあなた方が達成しなきゃなんないのは、ね、食に対して、あるいは接触に対して、ね、あるいは欲求に対してね、(7)することが必要なんだと。
 そしてその、(7)をするならば、今なしている(8)、例えば(8)に対して好き嫌いを言う人もいるけども、ね、それが実際は正しいことではなくて、ね、その自己の欲求ではなくて、ただひたすら(9)し続けると、ね。
 なぜわたしが欲求という言葉を、意思という言葉を欲求という言葉に置き換えたかというと、わたしのいう意思というのは、ただひたすら(9)し続ける心の働き、これを意思といっているからね。ま、仏教ではこれを“(10)”といってるわけだけども、意思といってるから、ここでは意思という言葉を使うよ。ただひたすらね、(9)をし続けると。そういう心の働きをね、訓練すると、ね。
 それは例えば、グルに対して意思をし続けると。あるいは、ね、シヴァ神に対して意思をし続けると。あるいは真理に対して意思をし続けると。このように、なすことのできる人がいたならば、ね、その人は、必ずや(11)すると、ね。


 まずね、一つ考えてみよう。シャクティーパットの接触と、それから(12)を(13)するときの接触が同じであることを君たちはわかるか。
 これはどういうことかというと、例えばわたしの本来持っている心の働き、すべてのものを(14)させるという心の働き、ね、その働きによって、手からまあ(15)が出ていって、君たちの(15)を覚醒していくというか、(14)させるというかね、いう働きがあるわけだけども、これは、君たちが例えば直接わたしと触れなくても、わたしを(13)することによって生じるわけだね。


 そして、釈迦牟尼は、第四のマーヤ、(16)、ね、食事ね、喜び、これを「(17)」、これは色、受、想、行、(17)の(17)だね、コーザルの(18)だと言ってらっしゃると。これは釈迦牟尼は、こういう形で表現してらっしゃると。


 そのためには二つの方法がありますよと。
 一つは、前もってね、過去世からの苦悩をすべて消してしまうと。消してしまうということは(19)してしまうと。それは、(20)によって、あるいはこの現象界によって(19)してしまう方法がありますよと。
 それからもう一つは、ね、そのデータの起き上がってこないように、ね、苦楽から(21)方法がありますよと、ね。
 これは、みんなは(19)したことがあると思う。それは、(22)の感情の多い人は、どうだ? 悲しみの感情は? 多いでしょう、ね。
 (22)の感情の多い人は、悲しみの感情も多いと。つまりオーバーなんだね、アクションが。そして当然(23)の感情は多いよね。それはちょうど、ここに湖面があって、ね、この湖面が大きく波打っている状態だ、ね。
 しかし、高いステージに入っていく、上がっていくと、徐々に(24)の働きというものは、静止してくるよね。どうだ。そうすると、(24)の働きが静止すると、現象的には苦だと見えていても、実際はそれほど苦じゃないと、ね。どうですかこれは。
 だとしたら、例えば最も苦しい状態のとき、(24)が(25)でいられなければならないと。最も楽しいとき、(24)が(25)でいられなけばならないと。わかるね、これは。