アレフ教学システム 問題D
第3章 16話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 その一つは、今話した、周りのことに、ね、とらわれてはいけませんよと。周りを(1)するときには、その(1)の、ね、相手に対して(2)を動かすのではなくて、その要素が(3)の中にあるんだということを(4)しなさいよと。いいですか、これは。これは、返事をしている人もしていない人も、陥りがちなミスですね。


 そして、最終的なクンバカ、(5)の停止は何から起きるかというと、これは心の(6)なんだね。
 よくね、誤解される。それは、わたしは微弱な(5)なんですと。じゃあ一分間数えてごらんと。いや、止まってるようだけど、やっぱり十回とか十二回とかしてますと。これはまだ(7)という状態で、瞑想状態、三昧の状態じゃないわけだね。


 ということは、(8)・ヨーガが一応欲界に当たるだろう。どうだ。そしてマハームドラーが、一応は(9)の世界に当たるよね。どうだ? 本当はそこで(10)が滅却されなきゃならないわけだから。どうだ?
 ところが、四つの偉大な(11)によってその(10)の中にどっぷりとつかると。どうだ。で、これが光音天の世界に入るよね。どうだ? 難しいか。わかるか?
 ところが、光音天の世界に入ると、(10)の(12)が(12)ではなくなるんだね。食べ物にしろ、性欲にしろ。そしてね、本当の意味での救世主、これは光音天から降りてきてるんだね。
 なぜならば、(13)という存在、(13)という存在を持っていなければ降りてこれないから。だから本当の意味での救世主は、(14)の世界から降りてきてると言っても過言ではないと。過言ではないじゃなくて、(14)の世界から降りてきてると。
 ただね、神通はあって、ね、(15)心のない人もいるよと。(10)を滅却しててね。その人は逆に、今度は(9)の世界から降りてきてるんだね。…(中略)…
 そして、この(14)の世界を構成しているものは(16)と音なんだよ。で、音とは何かというと、君たちの知っている(17)だね。ナーディーです。(17)の音です。ね、それと(16)なんだね。
 そして最終的には、この(17)すら滅した(16)だけの世界が存在します。その世界がマハー・ニルヴァーナです。


 例えば、ね、大変美しい女性にかしずかれていると、ね。もうそれによって、もう日々快楽に満たされていると、ね。そういう生活を毎日毎日送っていたら、どうだ?
 すべてのことを忘れる、(18)すら忘れてしまうんじゃないか? どうだ。――どうだ? だから、戯忘天という名前が付いたんだね。
 じゃどうだ? 例えば、あいつは悪いやつだと、ね、あいつは正しくないことをやってると、ね、あの人はおかしいじゃないかと、絶えず(19)まくってると。そして、(19)によって心は支配されていると。
 この人は(19)によってすべてを忘れていないか。どうだ? これが阿修羅の世界だ。
 しかし、その阿修羅の世界の背景にあるものというのは、よく考えてごらん。その人にとっての(20)だね。
 その(20)で、わたしは正しいんだと。どうだ? わたしの知っているものは正しいんだと。どうだ? わたしの経験したものは正しいんだと。どうだ?
 それ以外は正しくないんだという狭い了見があるわけだね。どうだ。これが阿修羅の悲しみなんだよ。
 ところが、天界においてはどうでもいいと。自分はもう楽しいと。いつも楽しいと。それで日々が過ぎていくと。だから戯忘天なんだよ、ね。
 次は、ブラフマンの世界に入ってくると、その人たちは一応煩悩を落としていると。ただグルによって煩悩を落としているから、グルに対する(21)だけがそこに存在していると、ね。そして、ね、その人たちを支えた者たちの、ね、に対する祝福も存在していると。これがブラフマンの世界だね。
 そして最終的には、光音天の世界に入ると、ね、まず食欲が減退します。それはなぜかというと、(22)がその人の食事になるからです、ね。普通の人の例えば半分、四分の一、八分の一、あるいは全く食べなくなると。
 ところがだよ、そうするとどうだ? 例えば光音天から降りてきた、ここに救世主がいたとして、食べないと。そうすると肉体は(23)できると思うか、できないと思うか。いずれは滅するよね、どうだ? 他の人より早く滅するよね。
 よって釈迦牟尼は、弟子たちに歩かせたわけだね、弟子たちを。歩いて、托鉢させて、そして朝何十キロと歩かせて、それで肉体の(24)を消耗させて、ね、そして食事を取らせて、ね、そして瞑想さしたんだよ。
 だから、光音天の住人も(25)をする、肉体の(24)を代謝することによって、やっと食べることができると。もし(25)しなければ、どんどんどんどん落ちていってしまうと。