アレフ教学システム 問題D
第3章 15話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
今のプロセスの逆、つまり、攻撃性を排し、そして他人に対して優しくするだけでわたしたちは(1)の世界から(2)され、また、わたしたちが性的快楽を貪る、ただ単に快楽の道具として異性を見る、ここから脱却するだけでわたしたちは(3)の世界から(2)されます。
またわたしたちが、もし、先程の味覚と同じように多くの(4)器官を必要以上に(5)させようとしなかったならば、そしてそれを(5)させるためにかき集めなければ、わたしたちは低級霊域から(2)されるのです。
また、異性にしろ同性にしろ、対象を(6)する心の働きを完全に止滅するならば、わたしたちは(7)の世界から(2)されます。
そして、自分自身が(8)に立つために、策略等の実践を行ない、自分より意識レベルの(9)者を蹴落とすことをもし放棄するならば、わたしたちは意識堕落天の世界から(2)されます。
そして、すべての(10)、味覚・触覚的な(10)、嗅覚・聴覚等の(10)、視覚等の(10)からもし(2)されるとするならば、わたしたちは愛欲神の世界から(2)されることになります。
そしてあなた方は、これらの解放のプロセスを歩いてる魂に対して、心から喜び、そして「そのお手伝いをするぞ」という(11)をしましょう。この「(11)」こそ、聖慈愛の実践なのです。
「聖慈愛」と「(12)」の違いは、わたしのいろんな著書にも述べられてるとおり、「聖慈愛」とは、対象の魂が(13)すること、――この「(13)」とは、先程述べた、(14)から解放され、できるだけ高い世界へ至ることを(15)心の働き、これこそが「聖慈愛」なのです。
そして、(16)修習はどうかというと、実際にその人たちを訪ね、励まし、そしてその人たちがより一層善行を行なうように、あるいは(17)の実践が行なえるように、あるいは法則によってより高い経験ができるように、あるいは心が乱れてるがゆえに不幸であるとするならば、それを(18)の状態へもっていくように励ます。これをあなた方がなすならば、あなた方は最高の聖慈愛の(16)修習を行なっているということになります。
つまり、あなた方の周りには、多くの実践の場がすでに存在し、そしてそれは、あなた方が(16)したものを現象化する力となるのです。
今日の講話でおわかりのとおり、「聖慈愛」は、昨日の講話の内容、おとといの講話の内容に出てくる「(19)」に比べて、ずっと楽な(20)です。なぜならば、聖慈愛の(20)は、もともと(21)、つまり自分と同じ方向に向かっている魂を(22)から手を差し伸べ、そして下の魂を(22)へ(22)へと引っ張り(22)げる作業を表わしてるからです。
しかし、(19)の(20)は、自分と逆のベクトル、つまり(23)する魂に対して、手を差し伸べ、その(23)を止め、そして(22)へ引き(22)げる作業を表わしています。従って、皆さんがもし聖慈愛の(20)ができないとするならば、それはその次の(19)など、とんでもない(20)ということになるでしょう。
さあ、この(20)を行ない、皆さんはしっかりと(24)世界へと至るように努めましょう。
(24)世界へ至るということは、まず皆さん自体の身体が(25)の状態を経験すること。そして、全く欲望から離れた場合、欲望の出ない状態を経験すること。そして、(24)世界の神を実際に見ることができるような経験をすること。さあ、この三つが聖慈愛の皆さんの達成のときに現われる現象です。しっかり頑張りましょう。