アレフ教学システム 問題D
第3章 9話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
オウム真理教の教えというものは、(1)的真理と、そして(2)的真理の二つに分けることができます。
そして、(3)修行においては、その(1)的真理の中に(2)的真理を見いだすという修行のプロセスをたどることになります。
これはどういうことかというと、(2)的真理とは、まず、わたしたちが自己の本性、本質的な部分、つまりこれは、空ともあるいは(4)ともいえる、まあパーリ語を使うならばアートマンの状態へ還ると。
これが(2)的真理であり、これ以外の(2)的真理は存在せず、これ以上の(2)的真理も存在しません。
次に例えば、(5)によって成功したいという人は、それよりエネルギーを蓄える、功徳を積み、善行をなすことにより、次は(6)・チァクラから漏れるようになります。この人は、(5)において大変な才能を発揮し、学者として、一代、有名な名を残す人となるでしょう。
そして次に、それよりもっとエネルギーが蓄えられてくると、アナハタ・チァクラにまでエネルギーが蓄えられ、そして、この人は権力や(7)こそないが、あるいはお金こそないが、(8)を得るようになります。これが第四番目のアナハタ・チァクラです。
そして、それよりもエネルギーが蓄えられると、次は、(9)・チァクラで漏れるようになり、このとき(7)・権力といったものが備わります。
そして、最終的に(10)・チァクラまでエネルギーが蓄えられると、ある程度の神通力と、そしてこの現象を、現象界において思いのままに生きていける力が蓄えられてくるのです。
そして、これらを超越し、別の道、絶対の真理の道をたどった場合、それはサハスラーラから(11)としてエネルギーが漏れ、そして、わたしたちは神聖世界をぶち抜き、完全煩悩破壊をするのです。
ですから、言い方を換えるならば、修行を行なっていて(12)の出ない修行は過ちであるということが言えるでしょう。
で、このような(13)の強い日本人に対して、まず何を実践させたらいいのかと。
それはまず(14)であると。というのは、日本人は知識を吸収することは大変好きです。ですから、教えをまず記憶させると。
そして、お金の掛からない(15)の実践から伝授すると。つまり、妄語・綺語・悪口・両舌をやめなさいよと。これぐらいだれだってできると。
だから、まず、そのアプローチから始めることにより、皆さんの肉親、あるいは友人、知人は、少しずつ徳を積むこととなるでしょう。
次の段階で、心において、愛著・迷妄・邪悪心といったものに対するアプローチをさせると。それにより煩悩が弱められ、そして(16)における殺生を離れ、偸盗を離れ、邪淫を離れるといった方向へと導きます。
これらの戒を具足させた後、次の段階で(17)の実践へと入っていくわけです。
もともとオウム真理教と他の宗教団体の違いは何かというと、それは(18)を破壊することによってすべての現象を(19)させようとしているのか、あるいは、(18)を強めることによってすべての現象を(19)させようとしてるかの違いです。
ここで一つ考えていただきたいことがある。
ある現象があった場合、その現象に対して(20)、つまり正確に知る、この正確に知ることができるかどうかということは、未来においてどのような恩恵があるだろうかと。
例えばここに一枚の(21)があるとし、その(21)を見ないで目的地に走ろうとする人と、しっかりとその(21)を確認して目的地に走ろうとする人とでは、当然、(21)を見る時間、これは確かにマイナスかもしれませんが、それよりも目的地に至るまでのロスタイムというのは大幅に省かれ、そして目的地により早く達成することができるはずです。
これが、(18)破壊における、あるいは(18)を弱めたことにおける、現象を正しく見つめる力なのです。
このように真理、仏教というものは明らかに(22)なのです。
そして、その仏教の根本はどこにあるのかというと、それは原始(23)にその原本を見ることができます。
現に、サキャ神賢の前生談の中でも、多くの生においてヒマラヤへ行かれ、そしてそこで(24)行をなし、そして煩悩破壊なさり、そして(24)天へ転生なさったという話が出てきます。これは、サキャ神賢の系譜が、原始(23)から真理をお説きになってらっしゃったんだということの証明であると思います。
そして今、オウム真理教も同じように、原始(23)、仏教のラインを採っています。これは、(25)に到達する魂は、必ず原始(23)、仏教の道をたどるんだということの一つの証明でもあるでしょう。