アレフ教学システム 問題D
第3章 3・4話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
それは何かというと、まず第一は「(1)心」であるといっています。
(1)心というのは、ここにたくさんの人がいらっしゃって、例えば身内だろうと、あるいは他人だろうと、どの人も自分の最も愛する人と同じように見ることができる心の働きのことです。
この(1)心が備わると、実際に(2)も良くなります。それはなぜかというと、例えば人生にとって重大な選択をしなければならないとき、だれかの助言が必要だったとしましょう。
このとき、大抵の人は、自分が好意を持っている人の意見を聞こうとするでしょう。嫌いな人の意見だったら、たとえそれが正しかったとしても、即座に(3)してしまうのが普通なのではないでしょうか。
このときに(4)に狂いが生じてしまうのです。この間違いが、人生を(5)に向かわせてしまうかもしれないのです。
反対に、自分の好き嫌いに影響されず正しい(4)ができれば、当然(2)は向上していきます。このように、(1)心の実践は、現実的な利益も大きいのです。
そして次は、慈悲の「慈」であるとされています。慈とは、わかりやすく言うならば「(6)」のことです。
この(6)というのは、例えばここに一人の人がいて、その人が喜んでいるならば一緒に喜んであげて、その喜びを増大させてあげる気持ちです。
そして、ここで大切になってくるのは、(6)というものと(7)というものの違いです。
(6)というのは相手を育むもの、相手の(8)を促進するものです。そして、それを見て喜ぶ心であるとわたしは思います。一方、(7)というものは、自己の(9)をいかに満足させるかというものです。例えばそばにいてほしい、一緒にいたいと相手に求める心、これは自己の(9)です。
そして次は「(10)」、「相手を誉め称えること」です。これは、相手の素晴らしい行ないや気持ちに対して、心から(11)する心の働きのことです。
この気持ちが欠けているとどうなるかは、(12)の法則を考えてみるとすぐわかるでしょう。(12)の法則というのは、なしたことが返ってくるということだから、当然相手からも(11)されません。
また、相手に対して誉め称える気持ちがない背景に、一体どういう心の働きがあるのか考えた場合、それは相手に対する(13)心、嫉みとか妬みとかいった感情があるはずです。
この四つの訓練をもって、四つの偉大なる(14)といっているわけです。そしてこれは、あなたが本当に(15)になっていくための道であるといわれています。
なぜそう言えるかというと、この訓練というのはわたしたちの心のけがれを落とし、そしてわたしたちの心を(16)にしてくれるからです。そして、すべてを平等に見る目を培った上で、どの人の喜びに対しても感動し、そして一緒に喜んであげるという気持ちを持っているとしたら、人に大変好かれるでしょう。
また、人の悲しみに対しては、一緒に悲しむということができるならば、やはり人に好かれるでしょう。
そして、全く(17)の本能がなく、心が清らかで、他の人の善行に対して誉め称えるという気持ちを持っているならば、当然、人に好かれるでしょう。
この四つの(14)を磨くことは、必ずあなたを(15)に導いてくれることでしょう。
そして、多くの人がこの偉大な心を身に付けてくれたら、(17)のない平和な社会を築くことができるでしょう。わたしはそういう社会が一刻も早く現われることを願っています。
では、(18)の修行とは何かと。これは、例えば喜ばしいことが生じたとしても、あるいは苦しいことが生じたとしても、それに一切とらわれないと。そして、ただひたすら自分のなすべきことをなすと。
これこそが、人生を(19)する最高の法であると考えます。
例えば、ある人が人生を失敗する。そこで(20)感を覚え、無気力になり、活動ができなくなると。しかしよく考えてみましょう。この活動ができなくなった時期は、その魂にとって、その人にとって大きな(21)なのです。
従ってもし(20)したとき、その(20)を全く(22)することなく、淡々と(23)し続けることができるならば、いずれかその(20)のポイントを超え、より大きな人生を経験することができるはずです。
また逆に、もしここに、人生に瞬間的に(19)した人がいたとして、そこでおごりの心が出てきたらどうでしょうか。
同じようにその魂は、そのおごりによって、仏教的言葉を使うならば(24)によって、そこからの成長が阻害されてしまいます。
従って、(20)にしろ、あるいは(19)にしろ、それは通過点にすぎないと。そして目の前にあることに対して淡々と(25)し続けると。これこそが最高の人生必勝法であると、わたしは考えます。