アレフ教学システム 問題D
第2章 7話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
わたしたちが実践をしなければならないもの、それは(1)であると。
そして、その第一は、三つの(2)。これは法施、安心施、財施という、三つの(2)であると。そして最終的には、(3)の(2)や、生命をも供養するという、最高の(2)波羅蜜、(2)の極限というものがあると。
そしてこの後、(4)を守り、例えば殺生をしない、つまり生き物を殺さない、盗みをしない、そして(5)のないセックスをしないという、三つの(6)の行ないの統御によって、わたしたちは(7)を漏らすことをやめ、それだけではなく、生き物を慈しむ、施す、そして、取引なしに、心から(5)のこもった態度で、同性異性を問わず接するという実践により、心を高めていくと、心を成熟させていくという(6)の行ない。
そして、嘘、必要のない言葉、(8)、仲たがいさせる言葉といった口のカルマをやめ、慈(5)のこもった言葉を語ると。そして心には貪り・(9)・無智を離れると。そして真理に基づき、絶えず透明な、そして広く大きな、深く、澄み通った心を持って生きると。
ところがね、そうやって(10)を成就する人としない人といると。それはなぜですかと。
これは二つのポイントがあると。一つは、自己のなした(11)というものを、(12)を利するために振りまく場合。
例えばそれは、まあここにいるわたしもそうですし、あるいはMやPもその道を歩かなきゃなんない。これは(13)の道です。
ところが(13)の修行者というものは、徳をただ積み続け、(14)を持っていないから、その人のなそうとしたことが(15)すると。それが先程言った、例えば成就者を出す、あるいは信徒数を拡大する、そして救済の輪を広めるといったようなときに、これだけ大きな国家が、マスコミが、オウム真理教を叩いていても、平然とその教団を維持し、そしてこれから大きくなるぞという印が現われると。
これはまさに、先程言った布施(11)、そして持戒の実践、そして救済に対する意欲といったものが、(15)しているにすぎません。
もう一つのパターンは、徳が少ないのに、いろんなものに(14)を持ち過ぎると。よって心が定まらず、その徳がばらまかれた状態を表わします。
そして、(16)を求める場合、ひたすら功徳を積み、そのエネルギーを蓄え、もちろん(17)をし、そして(16)へ向かうと。これをなすならば、確かにエネルギーは蓄えられ、功徳は満ち、そして一つの方向へと(18)は向かい、(16)するでしょうと。
だからね、「サマナの功徳というものは、(19)なんだ」というふうに、仏典で説かれているわけです。
ところで、皆さんは、じゃあその徳を(20)するためには、あるいは持戒を(20)するためには、何をなしたらいいのかということになると。
それは、四つの(21)の実践であると。つまり、心を一つの方向に絞り込んでいく修行、三悪趣に生まれ変わらないで、上の世界へ生まれ変わり、そして、自己の思うがままにこの人生を謳歌し、死んでいくためには、四つの(21)しかないんだということ。
そして第三のステージにおいて、大いに(22)を落とされると。
ここで問題は、よくこういう質問を受けると。「オウム真理教に入信したのに、何で悪いことが起きるんだ」と。
ちょっと待ちなさいよと。あなたはだって入信して、まだ一年にしかならないじゃないかと。これまで生きてきた三十年間の間に、どれほどの(23)を積みましたかと。
そこで(24)ある信徒は、ハッと気付くと。(24)のない信徒は、そこでも気付かず不満を持つと、ね。
つまり、今生三十年間、例えば、そして前世の長きにわたる大いなる(23)というものは、(25)されなければならない。それは必ず現象化し、(25)します。
これが第三のステージ、(22)落としのプロセスです。