アレフ教学システム 問題D
第1章 9・10話
※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。
この現象界と、そして(1)世界、そして(2)の世界、この三つの要素を考えた場合、当然(2)の世界の方が最も(3)の返りが(4)といわれると。で、これは皆さんが、まあここでね、簡単に証明することができると。
それはどういうことかというと、例えば(5)というものは、パッと瞬間的に、まあ一秒間、大体地球を七・五回するわけですから、瞬間的に、まあその(5)を認知することはできると。
しかし、例えば(6)になると、もうすでに、例えばここから五十メーター、あるいは三十メーター、あるいは十メーターと間隔を置くごとに、どんどんズレが出てくると。つまり、(6)というものは、それだけ(3)の返りが遅いんだと。つまり、(1)における、おいてはもう遅いんだということが言えると。
そして、この(7)次元においては、もっと(3)の返りが遅いと。で、(3)の返りが遅ければ遅いほど、わたしたちは(3)を認識することができないと。よって、すべての現象をしっかり認識できないがゆえに、誤った(8)がそこで生じてくると。わかるかな、言ってることは。
だから、(3)の返りが(4)方がいいんだと、そう考えなきゃならない。なぜかというと、例えばここに病気をしたとして、その病気が初期の段階で発見された場合と、もう末期になって発見された場合とでは結果が違ってくる。そうだね。
それと同じように、(3)の法則についても早く知り、そして自分の(3)が早く現象化し、それを早く落とした方がいいんだと、そう考えなさい。いいね。
この地はクシーナガルといい、サキャ神賢が(9)なさった地です。
この(9)というのは何かというと、まず、この現実の世界、この現実の世界が(10)だということを完全に認知した聖者が――まあ、この完全に認識し、そして、自分の内側にそれが確立した状態を「(11)の離解脱」というわけですが――その現世が(10)であるということを、一つ一つ、そののち現実生活の中で確認し、そして(12)を捨てる際に、一つ一つの要素を破壊していくと、分解していくと。これが、(13)の解脱、(13)解脱といいます。
で、この(11)の解脱ののちに、(13)の解脱、あるいは、実際に(9)が行なわれるわけです。
で、この(9)の要素の良さとは何かというと、つまり、いったんそこで完全にゼロとして、自分たちの(14)へ帰ると。つまり、(15)独存の状態になると。
まあここで、今ちょっとわたし言葉の使い方を間違いましたが、「(16)」と「輪廻(16)」には大きな違いがあります。
まず、輪廻(16)というのは、わたしたちの(17)のカルマが、次の生へバトンタッチされて、そして次の生が形成されると。つまり、そこには、(18)の意志、あるいは(18)の決定というものは、一切介入しません。
しかし、大完全煩悩破壊したのちは、完全に綺麗な状態ですから、自分の意志、あるいは自分の決定によって、輪廻(16)ができるわけです。つまり(19)となるわけです。
ここが、解脱をした者としてない者との違いということになります。
よく、「(20)、涅槃はゼロになることである。そして、もうそこから(21)しないんだ」というふうに説かれますが、確かに、(21)しないことも(22)です。しかし、(21)することも(22)なのです。
ですから、今までは自分自身のカルマという(23)に対して支配されていた魂が、そのカルマから全く(24)を受けなくなった状態、これを(25)だと考えてください。
ということは、わたしたちが(25)に向かって修行することは、マイナスではなく、大きな利益となるわけです。わかりますね。