アレフ教学システム 問題D
第1章 7話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 この世を南伝的に分析すると、地獄・(1)・餓鬼・(2)、そして、阿修羅・(3)ということになる。
 この一つ一つの(4)は何かというと、(5)による殺生、あるいは(5)による間引きといったようなものが地獄へと結び付き、あるいは妥協、あるいは(6)、純粋に(6)といったものが(1)へと結び付くと。あるいは(7)元素と関連し、大いに貪る、そして人に物を施さないといった心の働き、これは餓鬼の世界へと結び付くと。
 では(2)はどうかというと、この三つの条件をクリアし、そして、(8)の実践をしている人ということになる。


 仏教は一言で言うならば、(9)であるとわたしは考えます。つまり、論理的にスパッとこの(10)観を割り切ってしまうと。
 では阿修羅とはどういう(10)かと。
 これは、大いに(11)を積むと。それは人間に生まれ変わる以上の(11)を積んでる者が、(12)を守らず、行く(10)であると。ではなぜ、(12)を守らず行く(10)なのかというと、そこには当然、まだ心のけがれ、(13)心だとか、あるいは、嫉妬心だとかいったようなものが残っていると。
 この魂は、紛れもなく阿修羅の(10)へと(14)します。


 これは何を意味するのかというと、わたしたちが、たゆまず(15)し続ける、精進し続けることによって、わたしたちの五蘊の形成が、人間から徐々に徐々に阿修羅へと移行し、戒律を(16)ことによって、憤怒天から戯忘天へと移行し、そして、(17)と巡り合うことによって、梵天界へと移行するということである。


 では(18)と欲六界の差は何だといったら、それは、(19)が生じているかどうかであると。つまり、(20)できてるかどうかであると。
 生きていくための最低限のもので満足し、そして内側を見つめ、多くの魂に、多くの福利を与える者、これは、(18)へと生まれ変わり、ブラフマンとなると。あるいは、(18)の最高の世界である、色究竟天まで生まれ変わることができると。
 そして、(19)を離れ、生命に対する、(21)に対する、全く頓着を離れたとき、(22)の世界から解放されます。そのとき、(23)無辺、識無辺、有所無処、非想非非想定という、(23)の経験をします。
 ここでいっている(24)というのは、色の世界と考えるより、形状、美しい形のある世界、ヤントラの世界と考えるべきだとわたしは考えています。
 そしてその(23)の境地を通り越したあと、(25)、絶対的な滅尽の境地へと到達します。