アレフ教学システム 問題D
第1章 4話

※(1)〜(25)に適切な言葉を入れてください。

 つまり、ね、無始の過去から、始まりとてない過去からわたしたちが積んできたいろんな経験、その経験の(1)によって、わたしたちの、ね、真我というものは、ね、――まあ正確に言うと真我じゃないね、これは。自性とか、(2)と言ってもいいかもしれない。――というものは(1)ている、ね、コーザルの(3)は(1)ている、ね。
 その(1)ている(3)を、まず懺悔によって洗うんだよ、一生懸命、ね。そうすると洗うと、あなた方の、ね、車の、例えば傷が見えてくる、ね。例えば、ね、ワックスの、ね、かかり具合みたいなものがはっきりわかってくる、ね。
 そのときに、あなた方が、例えば(4)の修行によって、(4)というのは、布施、それから持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という(4)によってね、いいかな、その車の傷ついている所にペンキを塗り、ね、あるいはワックスをかけて、外装は綺麗に仕上がっていくわけだ、ね。
 だから、まず懺悔、次に(5)、そしてそれと並行して修行をすることによって、この車というものは綺麗な形に回復されるわけだ、ね。…(中略)…
 その状態になると、すべてのものを、ね、ありのままにきちんと映し出すことができるようになるし、そして、ね、その結果として(6)も間違わなくなるんだよ。


 一般的に、ね、ヨーガ修行においては、(7)に対しては(8)の実践をしなさいといっている。しかしだよ、ね、周りが嫌いで嫌いでしょうがないのに、いきなり(8)の実践をしなさいといってできるわけはない。どうだそれは。できると思うか。もしそれができるんだったら、ね、オウムはいらないよね。
 じゃあどのようにしたら、ね、その(7)のカルマの消滅ができるかという問題について話すとだ、まず、(7)のカルマがなす結果について徹底的に考えなければならない、ね。
 例えば(7)まくっていると(9)へ至るんだと、ね。あるいは、ね、現代医学的に言うならば、血圧が高くなるだろう、ね。あるいは、いろんな人と争わなければならないだろうから、ね。あるいは、自分の(10)環境を狭めていくだとかね。わかるよね、言ってることは。
 怒ることによって、争うことによって、そこでぶつかるわけだから、ね、(11)がたくさんできる。それによって、自己の(10)環境というものはどんどんどんどん狭められるわけだ。いいかな。
 それを考えていくと、(7)のカルマというものは、わたしたちに何一つメリットを与えてくれない。そう言うことができるわけだ。


 動物の本質を見ると、(12)のみを追求していると。それは食べること、それから盛りのときのセックス、ね、それから(13)だね。先程言った、いろんな動物はいろんな(13)を持っている、ね。そして動物はあなた方と同じように、時間というものを持っているわけだ。だから、(13)ができるわけだね。そしてこれを、ね、(14)と言ってるね。
 (14)というのは何かというと、「暇がある」と、ね。
 その暇に対してだよ、「なぜわたしたちは生存しているんだろうか」、ね。そして、「なぜわたしたちは苦しんでいるんだろうか。どのようにしたら、わたしたちは苦しみから解放されることができるんだろうか」ということを考えてだ、ね、生きている人は、最終的には(15)に到達し、その、ね、(14)、暇だね、暇を、ね、修行に向け、そして自分たちの生きていることの意味合いを理解し、それから脱却することができる。


 だから本質的にはだよ、(16)のカルマさえ消滅すれば、人間界へ生まれ変わる可能性というものは消えるわけだ、ね。執着の背景は(16)だから。
 しかし、それがいい形で現われた場合、わたしたちは人間界へ生まれ変わります。悪い形で生まれた場合、わたしたちは(17)の世界へ生まれ変わるよね。いいかな。
 じゃあ、どのようにしたら、人間界のカルマを切り、ね、もっとすべてのものをだよ、ありありとね、ありのままに、正確に見ることができるかと考えるならばだ、ね、それは、まず(18)の無常性――無常というのは「常ではない」ということだね――そのわたしたちが引っ掛かっている執着の無常性というものについて検討すればよろしい。考えればよろしい、ね。


 そしてそこで相手の善行に対して、徹底的に心から(19)すると。あるいは、相手のいい性格について、徹底的に、ね、それを心の中に刻んでだ、そして誉め称えると、ね。
 こういう行為をなすならば、いいかな、自然と相手と(20)する気持ちが薄れてくる。それによって、阿修羅の(21)を切ることができるんだ、ね。
 それから、阿修羅の(21)を早く抜けるためには、自分よりも今、上に行っている人は自分より徳があったんだと考えればよろしい。
 だから、そこで(20)して、ね、悪業を積むより、功徳を徹底的に積んで、善行を積んで、そして、ね、自分の修行ステージを上げればいいと考えればよろしい。
 結果的にはそれが、ね、その阿修羅の(21)を切り、ね、いち早く最終ステージに到達する道ということになる。いいかな。


 そして最後、(22)のカルマだ。これは一応すべてがそろった状態だ、ね。
 しかし、いいかな、これも先程、人間の情で説明したとおり、ね、すべては(23)であると。今わたしは過去においてなした功徳によって今の環境があると。いいかな。
 だから、過去においてなした、ね、環境によって今の状態があるわけだから、ね、今ここでわたしが、(24)した生活をしているということは、これは過去において積んだ功徳を(25)しているんだと考えなさい、ね。
 そして、功徳というものは、積めば増えるし、使えばなくなると、ね。だからここで(24)してはいけないと。そして徹底的に修行に励むわけだね。それが(22)のカルマを切る方法だ。いいかな。