タターガタ・アビダンマ 第一誦品
1−3 問題C

※(1)〜(15)には記号を入れ、(a)〜(j)には適切な言葉を入れてください。

◎(1)
 この(1)は、キリスト教でいう(a)と全く同じ意味合いである。つまり、すべての魂の(b)を願う心。例えば、あなた方の隣人、あなた方の知人、あなた方の友人、あなた方の親族等が、一人一人が本当に(2)を知り、そして(2)を実践することにより、心が浄化され、言葉が浄化され、行為が浄化され、高い世界へ至ってほしいと願う心、これが(1)なのである。

1、 @聖哀れみ A聖慈愛 B聖無頓着 C聖称賛
2、 @真理 A無常 B法則 C忍辱


◎聖(3)
 第二番目の偉大な心の実践、これは聖(3)である。聖(3)というのは、(4)、(4)しみという言葉で表現される。この(4)しみという言葉でなぜ表現されるのかというと、(3)の心と、そして(4)しみの心とは大変似ているからである。しかし、大きな違いが存在している。聖(3)は、(c)の不幸、あるいは(c)の苦しみについて(4)しむのではない。これは、(5)の苦しみに対して(4)しむ偉大な心なのである。

3、 @哀れみ A慈愛 B無頓着 C称賛
4、 @慈 A楽 B悲 C嬉
5、 @法友 A家族 B凡夫 Cすべての魂


◎聖(d)
 第三番目は、聖(d)の偉大な心である。この偉大な心は、その心を実践する魂を偉大な人物へと変えてくれる。もちろん、この上位形状界に入るような魂に成長していくわけだから、当然偉大な心を有しているといってよいのである。この偉大な心とは、わたしたちがわたしたちの(e)を否定せず、そしてその(e)を心から(d)する心であり、それにより、(e)の持っている(6)をわたしたちも内在できるようになってくるわけである。…(中略)…
 逆に、(7)というのは、相手のいい(6)をねたみ、そねむがゆえに、自分自身もその(f)ができなくなってくる。そうなると、このそねみ、ねたみは、対象に対する妨害の心を生起させるだけではなく、自分自身の知能や(8)の阻害にもつながるわけである。よって、この聖(d)の心の実践は大変(9)ということになる。

6、 @才能 A功徳 B長所 C要素
7、 @邪悪心 A慢 B闘争心 C嫉妬心
8、 @智慧 A功徳 B成就 C成長
9、 @簡単 A難しい B複雑 C素晴らしい


◎聖無頓着
 そして第四番目、これは聖無頓着の実践である。聖無頓着とは、いかなる(g)の解放に対しても、それに対して(10)実践ということになる。
 (g)の解放に対して(10)とはどういうことであろうか。
 わたしたちの(11)は五つである。これを「五つのとらわれの集積」といっている。この五つのとらわれの集積は、まず外側から順に、形状-容姿、(h)、表象、経験の構成、識別である。そして、これらはすべて、過去および過去世の(g)の蓄積なのである。…(中略)…
 この(g)に対して全く(10)ということは、どういう(i)をもたらすのだろうか。
 例えば、わたしたちは(12)からそこから(13)と思い、(13)がために新しい(j)を積む。これを繰り返しているわけである。
 しかしもし、ここに(14)がいて、その(14)が、(j)の(i)として(12)ことが今生じていたとしても、それに対してとらわれず、ひたすら行為において善行をなし、言葉において善行をなし、心において善行をなしていたならばどうだろうか。(j)は必ずその終焉を迎え、そして善のみの集積になるわけである。そして、この善のみの集積の完成の段階が、上位形状界最後の(15)の天界なのである。

10、 @頓着しない A貪らない B喜ばない C悲しまない
11、 @感情 A苦悩 B煩悩 C構成要素
12、 @嬉しい A悲しい B楽しい C苦しい
13、 @楽をしたい A逃れたい B離れたくない C楽しみたい
14、 @凡夫 A信徒 B真理の実践者 Cサマナ
15、 @六つ A五つ B四つ C三つ