アレフ教学システム 問題C
第10章 9話

※(1)〜(15)には記号を入れ、(a)〜(j)には適切な言葉を入れてください。

 では、(1)の宗教とは何だろうかと。
 それは、その人を(a)的な幸福の境地、自由の境地、歓喜の境地へと導く(2)であり、そしてその(1)は、例えば、いろいろな専門家が統合された形で一台の車を作るように、その(2)というものは(3)存在し、そして、(4)が例えば理解できたとしても、そこから(b)地点に至るまでには、相当に多くの(2)を学び、理解し実践しなければならないということが言えよう。

1、 @模型型 A論理型 B実物型 C実践型
2、 @経典 A教え B詞章 C真理
3、 @体系立って A際立って B分散して C筋道立って
4、 @土台の法 A真の帰依 Bグルの意思 C教義


 そして、その内なる裏付けとして、瞑想修行、その他のイニシエーションや、あるいはコースに出し、しっかりと(5)における裏付けをなさせるべきである。
 そして、その人たちが(c)することを(6)、決してライバルとは見ないと。
 この訓練をなす者は、導いた人たちの(c)とともに、その人の修行(d)も増大するのである。これは、前回の説法において説いた内容の(7)の部分を見ていただければ、よく理解できるはずである。

5、 @瞑想 A教学 B帰依 C体験
6、 @喜び A妬み B称賛し C悲しみ
7、 @慈愛 A称賛 B哀れみ C無頓着


 ところで、人間の(8)には、(9)から始まり、そしてサマディに至り、救済者となる、この段階においての(8)というものが存在している。
 (9)においても、財の(9)から、(10)の(9)と段階は多様である。この一つ一つは、それぞれ一つ一つに対応し、そしてその対応した一つ一つがいろいろな形に連動し、そして一つの人生を形成する。
 よって、例えば、(9)だけの実践をしてる人は、確かに物質的には(11)である。しかし、その人が(e)的安らぎを得られるかどうかは別問題である。
 例えば、人に安らぎを与え続けた人、この人は確かに心は(11)である。しかし、その人が物質的な(11)さを得られるかどうかは別問題である。
 (f)の流れを説き明かした人、あるいは(f)の流れに導いた人、この人は、心の(11)さ、および(f)との(12)が強くなる。この人が財を求めるならば財も得られるだろうし、この人が安らぎを求めるならば安らぎも得られるだろうし、この人がステージを高くしようと思えばそれも当然得られるだろう。
 つまり、この(13)というのは、(9)の中の(g)の段階なのである。

8、 @習性 Aカルマ B修行 C功徳
9、 @布施 A奉仕 B教えの理解 C帰依
10、 @身体 A言葉 B導き C法則
11、 @幸福 A豊か B自由 C静か
12、 @縁 Aきずな B関係 C結びつき
13、 @財施 A真理施 B身の供養 C安心施


 では、皆さん自身は、どのような(h)をしたらいいんだと。
 これは、やはり(14)に対して、いろいろ質問を受けるだろうから、しっかりと教義を確定させると。というのは、オウム真理教の教えは、先程も述べた本格的な宗教だから、その教えは、皆さんが学んだとしても、一生で学びおおせるものであるかどうかは疑問である。
 その、一生で学びおおせせるかどうかであるそれだけの体系を、皆さんがもし十分の一でも(15)とするならば、それは皆さんの(i)を増大させ、そして皆さんの(14)たちからの質問に対して、楽々と、師のように、正悟師のように、正大師のように、説法士のように答えることができるはずである。これによって、より多くの法、より多くの真理を皆さんは得ることができる(j)をつくるわけである。

14、 @グル A信徒 B導いた人 C弟子
15、 @記憶する A悟る B懺悔する C教学する