アレフ教学システム 問題C
第9章 10話

※(1)〜(15)には記号を入れ、(a)〜(j)には適切な言葉を入れてください。

 三つの(a)とは何かというと、これは下腹部に存在する、ま、(1)の位置より若干(b)に存在する、下庭とか、下の庭とか、下(a)とかいわれる、下の(a)とかいわれてるエネルギーの中枢、これは先程言った、先天の生命エネルギーの源の宿る場所である。
 第二番目は、中庭とか、あるいは中(a)とかいわれる、ちょうど(c)・チァクラのところに存在するエネルギーセンターである。
 そして第三(a)は、(b)庭とか、あるいは(b)(a)とかいわれる(2)・チァクラに存在するエネルギーセンターであると。
 大体、これは密教的秘密チァクラと、それから(c)・チァクラ、そして、(2)・チァクラに一致している。
 そして、この下庭は変化身、中庭は(d)、そして、(b)庭は法身に対応するという考え方もある。これらは、例えばマニプーラが変化身、(c)が法身、そしてヴィシュッダが(d)という、密教的考え方とは若干違っている。なぜ違うのかというと、これは仙道的なものの考え方だからである。

1、 @ムーラダーラ Aヴィシュッダ Bスヴァディスターナ Cアージュニァー
2、 @スヴァディスターナ Aアージュニァー Bムーラダーラ Cアナハタ


 で、「これが(e)である」とは何であろうかと。つまり、これは、実際にこの外の(3)を使い、見、聞き、そして嗅ぎ、味わい、感じると。そして、内側の意識によって、その自分の要素について(4)すると。この状態を(e)という。

3、 @五大エレメント A五蓋 B五蘊 C五感
4、 @厭逆 A否定 B放置 C思索


 次は、(f)である。この(f)には、(5)する(f)と、(6)する(f)と、この二つがある。もちろん思索によって(7)する(f)もあるわけだが、結局、思索によって(f)する(f)というのは、(6)というふうに言えないことはない。よって、(5)する(f)、(6)する(f)の二つのカテゴリーに分類すればよろしい。
 ではこの、(5)する(f)、(6)する(f)の違いは何かと。
 (5)する(f)は、それ以上の大量の(g)を入れることによって、(g)の総量で打ち勝つ方法である。
 (6)する(f)は何かというと、対象の認識をしっかりと行ない、それに対してしっかりと分析し、落とす。あるいは、その思念と全く(8)(g)を、一対一、あるいは一対二、あるいは一対十といったような形で放り込む。これによって(f)する。

5、 @否定 A厭逆 B思索 C放置
6、 @厭逆 A放置 B否定 C思索
7、 @分解 A滅尽 B否定 C昇華
8、 @同じ A現世否定の B反対側の C同じ量の


 そして、これによって捨断するとどうなるかというと、次は、(h)と離解脱が生じてくる。つまり(9)が生じたり、あるいは感覚や、形状-容姿や、あるいはイメージや、経験の構成や、識別といったものから(10)状態、この状態が生じるわけである。
 逆の言い方をすれば、(h)や、つまり(9)や離解脱の生じない修行は(11)ということになる。もし、修行を一生懸命行なってる者がそれを生じさせ、そうじゃない修行者がいるとするならば、それは教義、修行法に問題があるのではなく、その修行者が怠けているからである、(12)だからであるということになる。
 そして、少なくとも、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガというタイトルを与えられた者は、これらの神秘的な力、非(h)から(h)への道、あるいは(13)から束縛の解放へ、そして離解脱の道が当然生じなければならない。

9、 @サマディ A智慧 Bプラティヤハラ C神通力
10、 @離れた A移行した B合一した C制御された
11、 @本物 A現世的 B偽物 C最低
12、 @不放逸 A凡夫 B怠惰 C真剣
13、 @繋縛 A苦しみ B欲求不満 C抑圧


 では、そのためには何を行なえばいいのかと。それは修習であると。修習は、(14)と(i)であると。
 では(14)とは何かと。これは心を(15)修行であると。心を(15)修行、イコール煩悩捨断といって間違いない。では(i)とは何かと。イコール(j)の修行であると。

14、 @四無量心 A懺悔 B供養 C寂止
15、 @静める A強める B弛緩する C浄化する