アレフ教学システム 問題C
第5章 9話

※(1)〜(15)には記号を入れ、(a)〜(j)には適切な言葉を入れてください。

 魂が落下していくプロセス、これが(a)の法である。
 (a)のプロセスを簡単に説明すると、まず、真我が(b)に干渉される。
 ここで無智、あるいは(c)という煩悩の最も根本的な働きによって、一部の魂はそこから落下する。そして、本来自分に備わっているはずの絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜という三つの条件をかなぐり捨て、外的なものに対して、それよりももっと素晴らしいものがあるんじゃないかなといって、落下が始まる。
 そしてその結果、(1)が生起する。この(1)とは何かというと、(2)である。
 そして、この自分と外界、対象に対して、その差異によって楽しみを求めるようになる。これが仏教的な言葉を使うならば(d)である。
 そして、その楽しみを何度も何度も修習するようになる。修習することによって貪りが生じる。そして、執着、つまり(3)が生じる。
 この(3)が生じることによって、対象に対して、これは我がものであると。これはわたし自体のものである。よって、このわたしの得ようとしている対象を傷つけるものは何人たりとも許さないと。ここで(e)が生起する。
 そして、完全な形での分離が生じ、(4)、つまり、(f)・色界・無色界のどこかの世界へ転生し、そして(g)が生じる。

1、 @行 A名色 B六処 C識別
2、 @五蘊 A愛著 B自と他の区別 C五大エレメント
3、 @取著 A触 B有 C受
4、 @とらわれ A苦 B有 C取著


 しかし修行が続き、(h)が覚醒し、その(5)が頂点に達し、体がしびれるような最高の(6)の状態が生じると、わたしたちは性的な(7)や、あるいは食物による(7)から解放される。そして、この(5)はわたしたちの心に大変なる(7)、しかもそれは(8)のない(7)を提供する。
 普通、魂は対象を得た時に(7)が生起するが、その対象がない状態で(7)が生起するということは、もともとそれこそが、本当のわたしたちの求めていた一つの要件であったことに気付くからである。つまり、外的対象による(6)より、内的エネルギーが生み出す(6)こそが、(9)の求めていた(7)だから、それによって本当の(7)は生起するわけである。
 そしてそれにより、いろいろな(10)から解放される。なぜならば、(10)は対象と、それから魂との間によって生じる一つの(11)によって、(10)が生じるわけである。ということは、対象なくして(6)、(7)という二つの条件が備わった段階で心身が大変軽快となる。

5、 @感覚 Aエクスタシー B苦しみ C集中
6、 @喜悦 A苦悩 B瞑想 C陶酔
7、 @交わり A煩悩 B興奮 C喜び
8、 @本質 A実体 B肉体 C苦しみ
9、 @エゴ A修行者 B心 C真我
10、 @煩悩 Aストレス B観念 Cカルマ
11、 @違和感 Aズレ B期待感 Cギャップ


 では、この(i)に至るプロセスは、どのようにしたら認識できるのかと。それは、まず、この現象の成り立ちについて、わたしたちは小さい時からいろいろな教えを受けている。しかし、そのような謬見解にとらわれるのではなく、本質的な教えを繰り返し繰り返し(12)し、それにのっとって考えると。これが必要なのである。
 では、基本的な考えとは何かというと、まず、わたしたちの身・口・意における(13)を増大させ、そして(14)を滅することである。
 では、その根本をなすものは何かというと、すべてを(j)ということである。
 では一体何を(j)んだと。それはすべての魂の(15)、すべての魂の安らぎ、そして、すべての魂の至福というものを(j)ということである。そして十戒にしろ、あるいは三つの布施にしろ、そこがポイントになっている。

12、 @修習 A肯定 B認識 C記憶
13、 @善業 A苦しみ B悪業 C喜び
14、 @苦しみ A悪業 B善業 C喜び
15、 @生存 A煩悩 B観念 C欲求