アレフ教学システム 問題B
第7章 16話

※(1)〜(20)には記号を入れ、(a)〜(e)には適切な言葉を入れてください。

 (a)が(1)に対して接する場合、三つの段階がある。この三つの段階とは、(a)と(1)の(b)の深さを表わしている。
 第一番目は多学、あるいは多聞の段階である。この段階で(a)は(1)に対して、多くの法則を説き明かす。しかし、これはあくまでも学、あるいは(2)の段階であって、その本当の意味での(3)というものは、(1)には当然訪れない。
 第二番目の段階、これは(4)に触る段階である。この(4)に触る段階とは、要するに(5)し、そして、(1)の(6)を見ないようにしながら修行を進めると。
 なぜならば、もし、(a)の目から(1)の状態を見るならば、それは、九九・九九パーセント以上の確率で(6)にしか見えないからである。従って、〇・〇〇一パーセント以下の(5)に値する内容を(5)すると。これが第二段階の(4)に触る段階である。
 そして、第三段階の、第三段階目、これは(7)といわれてる段階である。

1、 @兄弟 A弟子 B信奉者 Cカルマ
2、 @修習 A記憶 B奉仕 C布施
3、 @覚醒 A成熟 B悟り C上向
4、 @腫れ物 A欠点 B長所 C弟子
5、 @称賛 A確定 B批判 C闘争
6、 @カルマ A欠点 B長所 Cけがれ
7、 @ボーディサットヴァ A逆縁の弟子 B修行者 C真の弟子


 じゃ、なぜ(8)をする必要があるんだと。
 それは、絶えず「これが自分である」という見解から(9)ないことであると。「これが(c)である」と(9)た瞬間に、それは既に謬見解を生み出すことになる。
 では、なぜだと。「これは(c)だ」という実体がこの世の中に存在すると思うか、君たちはどうだ。しかし、「これが(c)である」、「(c)の感情はこうなのよ」、「(c)の意識はこうなのよ」と思いたがる。どうだそれは。そしてそれに(9)た瞬間、そこから(10)がスタートする、どうだ。
 だから、第一番目になさなきゃならないこと、それは「これは(c)である、これが(c)の見解である」という、この点から(11)されなきゃなんない。そのためには絶えず(8)の心を持ち続けなきゃならないと。では何に対して(8)の心を持ち続けるんだと。それは(12)であると。そして、(12)の具現化した形であるグルに対して、絶えず(8)の念を持ち続けなきゃなんないと。

8、 @帰依 A懺悔 B奉仕 C忍辱
9、 @認識し A執着し Bとらわれ C揺れ
10、 @転落 A記憶修習 B達成 C具足
11、 @抑圧 A解放 B脱出 C超越
12、 @三宝 Aサンガ Bシヴァ大神 C真理


 では、(13)はどのようにしたら達成できるのかと。これはまさに、(14)であると。
 では(14)には何があるんだと。これは多くのテクニックがオウムにはあるよね。例えば帰依マントラを唱える、例えば立位礼拝を行なう、例えば(15)如意足を唱える等のだ。
 つまり、これらの三つの土台、これは三つの土台だよ、つまり、懺悔、それから正学、それから(13)に至るための(15)・(14)を行なうと。三宝に対する絶対的帰依を崩さないための(15)・(14)を行なうと。これらの三つができて初めて、正見解からの、ね、正しい思索が展開されると。

13、 @不放逸 A放逸 B決意 C記憶修習
14、 @記憶修習 A記憶 B思念 C観想
15、 @欲 A決意 B観慧 C思念


 じゃあ、この正(16)と(17)の違いは何だと。つまりおかしいじゃないかと。この、正しく学んだ段階で、既に正(16)じゃないのかと。そうじゃないよね。
 正(16)というのは、正学によって学んだもの、ねえ、これを土台として、グルの(d)をもう一度聴くと。そして、それによって正しい(16)を身に付けると。
 じゃあ、(17)とは何かと。その正しい(16)を身に付けた状態で、自分自身の(18)について、苦しみについて、しっかりと思索すると。これは(17)だよね。
 そして、思索した段階で「どのような(19)が自己に対して(20)」であり、「どのような(19)が他に対して(20)」であるかをしっかりと検討し、記憶修習し、発するように訓練すると。
 つまり、この段階で「(e)の(19)を身に付けなさい」と言ってるわけだ。この(19)で「真理勝者の(19)を身に付けなさい」と言ってるわけだ。これが正語であると。

16、 @見解 A思惟 B生活 C奮闘
17、 @正見解 A正思惟 B正生活 C正奮闘
18、 @カルマ A行動 B欲求 C煩悩
19、 @言葉 A心 B行為 C生活
20、 @喜び A苦しみ B利益 C不利益