アレフ教学システム 問題B
第5章 10話

※(1)〜(20)には記号を入れ、(a)〜(e)には適切な言葉を入れてください。

 わたしたちの(1)を乗り越える、第一弾、それは、まず地獄・動物・餓鬼という三つの悪趣の(a)を捨断すること。
 そして、第二番目には、この(2)へ生まれても、悲しみや憂いや(1)といった心の(1)を取り除くこと。
 そして、第三段階は、(2)以上の(3)多き世界へ(a)すること。
 そして、第四段階は、解脱し悟り絶対的境地を確立し、そして(4)の状態をつくり上げること。

1、 @悩み A苦しみ Bカルマ C無常
2、 @阿修羅界 A天界 B人間界 C三悪趣
3、 @苦しみ A悪業 B愛情 C喜び
4、 @煩悩破壊 A歓喜 B不動 C寂静


 よく間違った仏教解説の中で、絶対(b)とは、この世に生きていながら(5)、(c)にとらわれず生きることであるという話があります。しかし、これは正しくありません。
 なぜならば、(5)生きているようで、実際この肉体は病み、老い、そして死の三つの法則を避けることができないからです。
 しかし、もし、わたしたちが心のままに(6)を(7)つくり出し、そしてその(6)の中に(8)を移し、(7)生きることができるならば、それはどうでしょうか。例えば、この(6)を(9)の状態に戻す、つまり形のない状態に戻すとき、あるいはつくり出すとき、それが(10)どおりに行なわれるとするならば、それは絶対(b)のはずです。
 そして、この化身には病もなければ老いもないのです。つまり、心によって(11)の身体をつくることもできるし、あるいは老化した身体をつくることもできるわけです。

5、 @勝手気ままに A自由奔放に B聖者のように C童子のように
6、 @本性身 A報身 B変化身 C法身
7、 @自在に A神通力で B涅槃の状態で C形状界で
8、 @エネルギー Aアストラル・ボディー B意識 C感覚
9、 @報身 A法身 B本性身 C変化身
10、 @カルマ A法則 B意志 C意識
11、 @童子 A動物 B神々 Cグル


 では、絶対(d)とは何でしょうか。
 これは、真理の修行者は(12)だけ行なうわけではなく、(e)の修行も当然行ないます。身・口・意、三つの(e)の修行がわたしたちの(13)に内在し蓄えられていくとき、その肉体は、そして感覚は、表象は、意志は、意識は、すべて(14)の蘊と変わるわけです。
 そして、この(14)の蘊を漏らすことはありませんから、永遠の(14)を内在し続けた五蘊ということができます。そしてこの状態を絶対(d)と言っているわけです。

12、 @合一の瞑想 A寂止の行 B記憶修習 C懺悔の修行
13、 @外側 A経験の構成 Bデータ C内側
14、 @苦しみ A幸福 B無常 C喜び


 ここで、(15)について少しお話をしましょう。
 例えば、ある人が、あるスポーツ選手が戦いに勝つことだけに心が傾いていたとしましょう。そして、この人が瞑想に入ったと。この人は四つの(16)と、そして一つの(17)について(15)をしなければなりません。
 四つの(16)とは何かというと、それはまず第一に、勝ったときに、勝ったがために心が掉挙となり、心が(18)、すべての現象に対して正しく認識できなくなるという状態。
 次に、勝ったがために負けた相手から恨まれるという状態。
 次に、負けたがために(19)が起き、周りの諸現象に対して正しく認識できないという状態。
 そして、負けたがために勝った相手を恨むという状態。
 この四つの(16)と、そして一つの勝った瞬間の、瞬間の喜びという(17)、これを(15)により経験し、そして(20)なければなりません。

15、 @寂静 A静慮 Bサマディ Cイメージ
16、 @緊張 A寂止 B過患 C後悔
17、 @弛緩 A正観 B味著 C興奮
18、 @揺れ A乱れ B崩れ C切れ
19、 @卑屈 A敗北感 B後悔の念 C慚愧の念
20、 @止滅し A無視し B浄化し C落とさ