アレフ教学システム(アクエリアスの時代) 問題
第14・15話

 これからもわかるとおり、まさにイエスの説いた愛とは(1)なのである。ではなぜ(1)と言えるのだろうか。その愛には先程も述べたとおり、まず衆生の苦しみ、苦しみを背負うこと、そして苦しみを背負った上でその魂を上へ引き上げようとする心の働きがそこには存在するのである。
 では、(2)における(1)とはどのようなものであろうか。これはすべての衆生、縁深きすべての衆生を、そして最終的には縁の薄いすべての衆生をも、その(3)を背負い、そして修行させ、(2)を実践させ、そして(4)へ没入させると。そして、(4)から次にはより高い教えを実践させることにより煩悩破壊させ、大完全煩悩破壊させる。これが(1)の意味なのである。そして、すべての魂がその(2)を実践することに対して心から(5)心、これが(1)なのである。
 以上のことからもわかるように、仏教にはイエスの教えである“愛”も包含されていたのである。

1、 @寵愛 A慈愛 B溺愛 C母の愛
2、 @真理 Aキリスト教 B仏教 Cヨーガ
3、 @悪業 A過去 Bカルマ C苦しみ
4、 @光音天 A戯忘天 Bコーザル世界 C神聖世界
5、 @称賛する A喜ぶ B苦しむ C楽しむ


 では、(6)の二番目、(7)についてはどうであろうか? 聖書を見てみると、この(7)の実践についても説かれているのである。
「さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、『わたしに従ってきなさい』と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、『なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか』。イエスはこれを聞いて言われた、『丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。「わたしが好むのは、あわれみであった、いけにえではない」とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである』。…(中略)…
 キリストは愛の概念の上に哀れみを置いている。これはどういうことかというと、もともと、(6)の実践段階においても、まず第一段階は「聖慈愛」である。第二段階は「(7)」である。そして、永遠の生命、つまり神聖天界から見て永遠の生命は、当然これは(8)の世界である。そして(8)の世界の心の状態は、(7)の状態である。
 では、哀れみとは何か。哀れみとは、すべての人たちの不幸、これを一緒に(9)んであげる心である。これは心だけで(9)むのではない。実際にそれが言葉や行為となって表われて、初めて哀れみを実践していることになるのである。
 まず、第一の内容を検討してみよう。
 第一の例では、イエスはこのように言っている。つまりもともと、今既に(10)な人よりも、実際に、罪人あるいは取税人、つまりあまり身分の高くない者たちを呼んで一緒に食事をすると。そして、その者たちの本当の(10)を願うと。これが哀れみの(11)なのである。
 つまり、罪人たちがその罪を実際(12)し、償い、そして(13)世界へ転生するためのお手伝いをしてあげる。あるいはその罪人のカルマの悪さを実際に心から哀れんであげる。これが哀れみの(11)なのである。

6、 @持戒 A六つの極限 B八正道 C四無量心
7、 @聖哀れみ A聖称賛 B聖慈愛 C聖無頓着
8、 @天 A神 B光音天 C喜び
9、 @悲し A楽し B懐かし C苦し
10、 @安心 A無智 B満足 C幸福
11、 @教え A根本 B基本 C原則
12、 @後悔 A浄化 B懺悔 C告白
13、 @高い A低い B良い C喜びの


 (14)というのは、もともと(15)・ヨーロッパ語族に属する宗教なのですが、やはり起源は(16)ではないでしょうか。というのは、(14)の教えそのものは、(17)をいかに正確に解釈するか、(17)を超えるかということが主眼です。そして、サキャ神賢の教えは(17)を超えています。そういう意味においては、すべてが(16)から宗教はスタートしていると見て間違いないと思います。もっと別の言い方をすれば、(18)から伝わっていると。(19)の教えも、(19)が独特のものを説いたわけではなく、以前からあったものを掘り起こしているにすぎません。
 もともと、(15)には先史部族がいまして、それに対して(20)系の(15)・ヨーロッパ語族が侵入したわけです。そして、ミックスされた形で、土着信仰と(15)・ヨーロッパ語族の信仰とが混ざり合った形で、(15)宗教というのは発展していったのです。つまり、(14)の説いている教えの起源が(16)、あるいは(18)にあるんだということですね。
 そこで生じている神々――例えば、(14)でいわれている神で、ヴァルナとか、(21)とか――いろんな神が存在するわけですけれども、そういう神のすべてが既にその(16)の段階で生じています。(22)などはすごく新しい神で、(23)年は経っていないと思います。もっと古典的な(15)では、ヴァルナとかミトラとか、そういう神々が中心になるわけですけれども、こういう神々はすべて(16)発生の神であるということです。(15)・ヨーロッパ語族独特の神であるということです。
 そして、(14)で説く(24)も、結局それは(25)教、(19)教あるいはゾロアスター教、こういうものとひっくるめて同じ(24)を持っているわけですね。若干のニュアンスの違いはありますけれども、言っている内容は全く同じだとわたしは思っています。

14、 @キリスト教 Aユダヤ教 B仏教 Cイスラム教
15、 @エジプト Aチベット Bイスラエル Cインド
16、 @中東 A中国 Bヨーロッパ Cヒマラヤ
17、 @経典 Aヴェーダ B秘儀 Cチベット死者の書
18、 @イギリス Aエジプト Bアフリカ Cイタリア
19、 @サキャ神賢 Aマルパ Bナーローパ Cキリスト
20、 @アフリカ Aモンゴル Bアーリヤ C白人
21、 @クリシュナ Aアフラ Bハヌマーン Cラーマ
22、 @シヴァ Aガネーシャ Bブラフマー Cヴィシュヌ
23、 @二千 A三千 B五万 C八
24、 @説法 A真理 B観念 C宇宙観
25、 @ユダヤ Aホアハオ Bゾロアスター Cバハーイ