アレフ教学システム 入門試験問題
第10章 12話

 まず、(1)の修行の第一には、(2)の実践があります。この(2)の実践とは、自分が到達する(3)である神々や、あるいは(4)や、あるいはグルの状態へ至るため、それらの魂の本質、つまり(5)に対する(6)を行なうことです。
 この(2)の実践は、事実(2)だけ、つまり(2)だけの実践を完成させたとしても、それは(3)へと到達することができます。しかし、この「(2)」という言葉の深遠さを一般の魂が(7)ことができるかというと、それは不可能に近いのです。

1、 @ボーディサットヴァ A真理勝者 B供養値魂 C最上善逝
2、 @帰依 A布施 B持戒 C忍辱
3、 @絶対自由 A最終地点 B真我 C三グナ
4、 @供養値魂 A最上正覚者 B智徳成就者 C真理勝者
5、 @グル A真我 B三宝 C覚者
6、 @帰依 A供養 B礼拝 C懺悔
7、 @理解する A共感する B悟る C学ぶ


 そしてボーディサットヴァの第二段階は、今なお(8)をなし、それゆえに(9)や、あるいは高い世界へ至ることのできない魂に対する(10)です。
 例えばあなたのお父さんやお母さん、あるいはおじいちゃんやおばあちゃん、あるいは兄弟・友人・知人が、今までなした(8)によって(11)に目覚めることができない。このとき、あなた方は「ああ、わたしの周りの魂は、(12)に照らし合わせると、今のままでは地獄・動物あるいは低級霊域へと転生してしまう」、そう考えるはずです。
 あなた方の周りの知人・友人・親族がこれらの(12)によって三つの(13)へと転生する、それを思ったとき、あなた方には大きな大きな(14)が生じるはずです。

8、 @悪業 A邪淫 B殺生 C善業
9、 @心の解放 A心の寂静 B心の離解脱 C心の成熟
10、 @慈愛 A無頓着 B称賛 C哀れみ
11、 @真理 A修行 B奉仕 C供養
12、 @修行 A実践 B法則 C教学
13、 @グナ A悪趣 B天界 C激苦地獄
14、 @悲しみ A苦しみ B慈愛 C利益


 (15)を実践する上において、よく、この(16)について考えないで、苦しむ人たちが存在します。
 従って(17)、つまりボーディサットヴァは「今」に一切(18)しない、つまりこだわらないのです。なぜならば先程述べた、(19)が現在だからなのです。
 そして、今の状況にこだわらず、淡々と三つの実践、聖慈愛・聖哀れみ・聖称賛の実践を行ない続けること、つまり(18)をしないでこの三つの実践を行ない続ける段階が、最終段階である(20)の段階なのです。

15、 @帰依 A真理 B聖哀れみ C聖称賛
16、 @原因 A現実 B条件の生起 C時間の誤差
17、 @到達真智運命魂 A供養値魂 B覚者 C智徳成就者
18、 @欲求 A執着 B頓着 C影響
19、 @過去の幻影 A過去の投影 B今生の経験 C未来への希望
20、 @正定 A智慧 B聖無頓着 C離解脱


 従って、仏典ではよく、身体を(21)する話が出てきます。これらも全く同じ原理です。つまり、(22)なのだからそれを(23)し、その(23)を経験しようじゃないか、ということがこの原理の背景になっています。
 例えば、財産をすべて(21)する話が経典にはよく出てきます。これも全く同じです。つまりわたしたちは、(24)ときに、財産を一切持っていくことができません。
 従って、それを前もって経験し、(25)、つまり、そういうものがない状態で生きていける状態を形成しようとするのです。

21、 @供養 A布施 B浄化 C解放
22、 @無常 A幻影 B夢 C空
23、 @超越 A解放 B捨断 C放棄
24、 @上昇する A堕落する B誕生する C死に逝く
25、 @心の訓練 A不動の心 B心の修習 C心の働き