アレフ教学システム 入門試験問題
第9章 5話

 わたしたちの(1)というものは(2)形成をなしている。例えば、その人の表面(1)が綺麗だったとして、それより少し深い(1)、それよりもっと深い(1)、そして潜在(1)に入り、超潜在(1)に入っていく、その各段階において、何が(3)してるかわからないと。
 そして、修行は、その各(1)の深い部分に、まず潜れるように、つまりそこへ(3)できるようにすることであると。次には、その(1)を理解し、その(1)を止滅することである。

1、 @データ A意識 B法則 C肉体
2、 @複雑な A微細な B三重の C多重の
3、 @到達 A達成 B依存 C存在


 よくサマナにこういう質問を受ける。
「昨日まで(4)できたのに、今日わたしは(4)ができないんです」と。あるいは「一カ月前まで(4)がどんどんできてたのに、今のわたしは(4)できないんですよ」と。「わたしは駄目になったんでしょうか」と。
 これはまさに、その、今日の講話の典型的パターンである。
 つまり、表層意識は、まあ、ある程度の教学、ある程度の功徳、ある程度(5)ができていて、綺麗であると。よって、その部分では(5)ができ、教学ができ、功徳が積めると。
 ところが、深い意識には多くのけがれを持っていると。
 するとその人はその意識空間に入ったとき、その状態に没入する。そして(5)ができなくなる。あるいは破戒をするようになると。

4、 @行法 A修行 Bマントラ Cワーク
5、 @瞑想 A修行 B布施 C持戒


 これはまず、自己の今の経験、あるいはステージ、こういうものを一切(6)べきである。
 (6)ということはどういうことかというと、(7)の念を持って接するべきであると。
 では、(7)とは何かと。これは絶えず、自分の経験していること、自分の修行、あるいは自分のいろんな性格的、実務的、他に対する優秀性というものを(8)に受け止め、そして、それをまだまだ足りないんだと考えること。そして、自分の言葉や、心や、あるいは行為に対して、絶えず懺悔し、外に対しても絶えず柔らかく、それを懺悔し(9)できるという心・言葉・行為と。
 これが修行のスタートであり、最後である。
 そして、これを(7)の念と言っている。
 修行者に二つのタイプがあり、自己を(9)するタイプと、自己を(9)しないタイプがあるが、最終地点に到達するためには、自己を(9)してはならない。それは、例えば仏陀釈迦牟尼が三年半(10)をなさった例でもそうだし、あるいはチベットの聖者、インドの聖者が同じように(10)に徹し、そして、カルマ落としを受けていることはよく知られていることである。

6、 @手放す A超える B認める C捨てる
7、 @慚愧 A感謝 B称賛 C慈愛
8、 @素直 A傲慢 B謙虚 C正確
9、 @解放 A抑圧 B表現 C反省
10、 @断食 A沈黙の行 B瞑想 C極限の修行


 この如来蔵を磨き上げることができるのは、この社会に生き、そしてカルマを落としていただき、いかなる状況であろうとも(11)に自己を意識し、そして周りの環境に関わりなく、自己の言葉・行為・心の働きという、この三つに対しては絶えず意識し、そして、丁寧に、優しく、法にのっとり、真理にのっとり生きてこそ、初めて真の仏陀というものが完成するわけである。
 つまり、最終地点に到達するためには、(12)した教学・(12)した言葉の統御・(12)した心の統御、そして、(12)した行為の統御というものが必要となってくる。そしてそれは、先程述べた慚愧というものが根本である。

11、 @素直 A謙虚 B傲慢 C正確
12、 @意識 A努力 B徹底 C認識


 まず第一に、意識は多重であるということ。そしてその意識というものは、決して深くなればなるほど(13)のではなく、その意識のどの部分にどういう(14)があるかということを、まず知るということが大切であると。
 そして知ったならば、次の段階では、それを(15)するということが大切であると。
 よって、修行途上で無気力になったり、怒りが出てきたり、あるいは(16)が出てきたり、いろんな現象がある。あるいはいろんな色を見たり、いろんな光を見たりすると。
 しかし、こういうものは一切関係がないと。こういうものは、すべて修行の途上の自己の(17)を知るための経験にすぎないんだということを、まず理解しなければならない。
 そして、(18)の絶対的(19)、この絶対的(19)、広大な(19)、深遠な(19)というものを培い、完成することが、わたしたちの修行の(20)であると。そしてわたしたちの心が、すべての魂の苦しみを包含するコーザルの空間と合一すること、これこそが修行の(18)であると。
 そして、その(18)に到達するためには、慚愧の念を持つということ。絶えず自己の(21)の(14)、身・口・意における(21)の(14)を意識し、それを止滅することに努めるということが大切であると。
 そして、そのためには(22)・瞑想・教学といった三つの要素が必要である。

13、 @光り輝く A透明になる B綺麗になる C微細になる
14、 @煩悩 A垢 Bけがれ C苦しみ
15、 @停止 A浄化 B止滅 C減少
16、 @情 A貪り B涙 C闘争心
17、 @カルマ A長所 B雑念 C要素
18、 @通過点 A最終地点 B原点 C基本
19、 @光の空間 A自由 B安らぎ C歓喜
20、 @道筋 A人生 B生きがい C目標
21、 @執着 A行為 B五蘊 C貪・瞋・癡
22、 @功徳 A修行 B経行 C帰依


 君たちは、もともとけがれているんだということをまず前提として(23)しなさい。そして、修行の途上で出てくる無智・貪り・嫌悪といったものは、君たちの今存在してない、もっと深い多重の(23)の状態の中に存在してるんだということを(23)しなさい。そして、それを(24)することが修行であると(23)しなければならない。
 そういうものが出てきたときに、それに対して(25)はならない。

23、 @確認 A懺悔 B意識 C反省
24、 @無視 A止滅 B増大 C減少
25、 @心を乱して Aとらわれて B嫌悪して C卑屈になって